『 救世主の国から 』 5

< On the Road V >
< ─ あるフォトジャーナリストの日記より ─ >
一枚の写真が世界を変革することができるという理想はない。
しかし、「変革すべき世界がここにある」という写真を、     
この世に提示できるという希望はある。              
2月5日
  朝9時頃、日本とボストンへ手紙を出すために中央郵便局へ行く途中、アンテル(エルサルバドルの電話公社)のストライキ・デモに遭遇する。とりあえず10カットほど写真を撮り、あわてて中央郵便局へ出かける。再びデモの現場に戻ると幹線道路の Alameda Juan PabloU通の一部を占拠するぐらいの人が集まっている。停戦後初めての大がかりなデモではないかと、心穏やかならない。久々のデモの撮影のため張り切っていると、いきなり数人の男にかこまれ、「なんで写真を撮っているのだ、どこから来んだ(おそらくそういっているのだろう)」と激しく詰め寄られる。「プレスだよー」と言いながら、政府発行のプレスカードを見せてしまった。これはまったくの逆効果である。というのはこの集まり自体が反政府のため、政府のマークのついたプレスカードを見せても彼らを怒らせるだけである。あわてて、ボストンから持ってきた「身分証明」のプレスカードを見せる。かれらもようやく納得してくれ、そのまま写真撮影を続けさせてくれることになった。しばらくデモ集会の写真を撮っていると、大きな拍手が沸き上がった。アメリカ人の一団が支援のためにやってきた。その中にボストンで顔見知りであったHとMの顔を見つけてびっくりしてしまった。話をしてみると、彼らはボストンの援助団体の代表として停戦の監視のためにエルサルバドル入りし、今日もアンテルのストライキを支援する為にやってきたそうである。 スケジュールの詰まっている彼らは、代表者の一人が演説をした後、労働者の盛大な拍手を背に浴びて去っていった。

 彼らが去ったあと、デモ集会で興奮するサルバドルの人にまみれて記録写真を撮っているのは東洋人の自分ただ一人であった。 びっしょり汗をかきながら写真を撮り、停戦後初めて開かれたであろうこのデモを写真に撮ったとしても、それを発表する場が即座になければ、今自分がしている努力も無駄になるのではないかという危惧を感じてしまう。 「いいや、結果は後からついてくる。今自分がしなければならないのは、目の前に起こっている現実をフィルムに収めることだ」といいきかせる。その日の午後、、いろいろなバスの路線を乗り継ぎ、サンサルバドル市内の違った風景を観察する。ダウンタウンへ向かうバスの中から、街の中にうごめく人々をみながら、今日撮ったデモの様子を思い起す。  

  「どのような特派員でも外国の最悪の事柄の報道に専念すれば、それで生活ができ、それを掲載する新聞は自国の最悪のことがらについては一行も報道しようとはしないということである」  
  「何発かが空に向かって発砲された。デモ隊はゆれたが、また結束した。外国人が一緒になれば悲劇を防止できると、特派員と写真班連中はデモ隊の周辺に集まった。防止できたのである」(エドガー・スノー『目覚めへの旅』 )
  エドガー=スノーのジャーナリストとしての悩みと経験をひとつ自分のものにすることが出来たと感じた。

2月6日
  朝早くから、ナンバー31のバスに乗ってサンサルバドル市内の貧民街の一つ、メヒカーナ地区とメルカードへ行く。やはり想像していたように、汚物でまみれた家々の中を子供たちが走り回っている。家のつくりも粗末なもので、もちろん電気はなく、水道は共同のものが一つあるだけだ。しかし、そこに住む人々は明るく、とても親切にふるまってくれた。首と肩からカメラを下げた背の高い東洋人(小柄の人が多いサルバドル人の中ではいやでも目立ち、狭いバスの中なんかでは頭が天井についてしまい、首を曲げることも多かった)は当然目立ちすぎるが、今はかえって目立つように歩くこともある。玉突き場に顔をつっこんだときも、中から、「入ってこいよ、中に入って、写真を撮っていかんかい」という誘いがあった。街角のバナナ売りのお姉さんたちは、「私たちの写真をとってー」とポーズをつける。本当なら学校に行っているはずの子供たちも商売の手伝いをしている。時には、こんな幼い子供までが、という姿も見られる。

 街はずれの渓谷まで行ってみると、ゴミが山のように捨てられている。フィリピンのスモーキーマウンテンデはないが、ゴミが自然発光し、煙と猛烈な悪臭で目と鼻が痛くなる。そこでは67(76)歳になるおじいさんと10歳くらいになる子供たちがまだ使えそうな品物を探し回っている。彼らは、一歩足を踏みはずせば深い谷底までまっさかさまに落ちてしまう危険な所を歩きまわている。しかし、子供たちは慣れたもので、そのゴミの上を飛んだり、跳ねたりいる。近くの路上では仕事のない男たちが座り込んでいる。そのうちの一人は完全にうつぶせに寝転んでいる。その男は生きているのか、死んでいるのか。生きているにしては身体全体に異常にハエが群がっている。死臭がしているのだろうか? カメラに超広角のレンズを付け、その男に向けてシャッターを切る。ボストンでもグアテマラでも何人もの路上生活者と出会ったが、ここでは彼らの様子も異なるような感じがする。バスに乗って10分も行けば、豪勢な家が建ち並ぶ地域があるのに。

 このような、システムによる貧富の差を、抑え付けられている側にいる人々はどのように感じているのであろうか。 最後は神に頼るだけなのか。決してきれいとはいえないメルカードの一角には、美しく飾られたイエス・キリストの像が置かれている。ロウソクが輝かしくともされており、彼らの希望ある姿として、未来に向う一条の光として胸を打つ。

 バスナンバー34に乗り、コロニアル・フォルタレサ、それに続くコロニアル・ラス=パルマス、そして、コロニアル・サン・ベニトへと行ってみる。前者の2つのコロニアルはメヒカーナに負けるとも劣らない大きな貧民区。そしてサン・ベニトには大使館や大邸宅が建ち並ぶ超高級住宅街。この両者の世界の違いは通り一つへだてただけである。

 一本の道を前にして、右側には大きな鉄扉のある家、2階にはエアコンディションが見える。庭には日除けの為に大きな樹が植えられている。そして、左側には水道もないバラックの家が続く。下水設備なんてもちろんなく、汚水があちらこちらにたまり、鶏がその汚れの中にくちばしを突っ込んでいる。このあからさまな貧富の差はもう10数年以上も続いているそうだ。これは内戦のだけのせいであろうか。目に見えない強固なシステムが改善の力を阻止しているように思えるのだが。

エルサルバドルの首都・サンサルバドルの中央市場。明るい笑顔と
威勢のよいかけ声が飛び交う。暇があれば、毎日足を運んだ。    
サンサルバドルの中央市場のはずれにある石炭売りの一家。
ウスルタン県出身。現在(99年)も撮影を続けている一家  。 
首都・サンサルバドルの北・サカミール地区。
首都・サンサルバドルの中央市場にて。
メヒカーナ地区のゴミ捨て場にて。
メヒカーナ地区にある玉突き場にて。
メヒカーナ地区のメルカード(市場)内にて。
首都・サンサルバドルの石炭売り。
この一枚が私の、「写真を撮るという行為」の脊髄となった。

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