『 救世主の国から 』 10

< On the Road V >
< ─ あるフォトジャーナリストの日記より ─ >
一枚の写真が世界を変革することができるという理想はない。
しかし、「変革すべき世界がここにある」という写真を、     
この世に提示できるという希望はある。              

3月9日
─ パブロ、君の笑顔を忘れない ─
 アルベルト博士、パティ、ローリー、パブロ、そしていつも力になってくれるシンシアとのクスカトラン県の奥のデ・グアルチョ村へと出かける。この村はFMLNの兵士たちで作り上げた新しい共同体。実際、FMLNゲリラと農民の区別はつかない。デ・グアルチョ村は、首都・サンサルバドルから車で約3時間。いつ訪れても、これこそが「山の中」と表現せざるを得ないところにある。

  本日は、村の設立3周年記念のお祭があるということで大挙してやって来た。朝早く、サンサルバドルを出発し、ベルリンのFMLNゲリラキャンプを経由し、昼前には村に到着する予定。ベルリンのFMLNコンセントレーションキャンプ(ゲリラと政府間の停戦条約により、FMLNゲリラは全国の15カ所に散らばったキャンプに集まり、10月15日までに徐々に武装解除するという取り決めがある)は、以前訪れた時よりもずっと解放的で、明るい雰囲気になっていた。驚いたことに、サンサルバドルからこのキャンプまでルートバスも走っているまでになっていた。ゲリラ兵士の数も少なくなったようで、誇らしげにして合った自動小銃の山も今は見えない(一説によると、FMLN側は万一のために、大量の武器を隠しているといわれている) 通りを隔てたキャンプで、幼い顔をした少年兵たちの訓練や整列姿を見ても、全くと言っていいほど危機感がなく、思わず笑いを誘われてしまった。

  パティやローリーは、(元仲間?)の女性兵士たちと久しぶりの対面を喜び合い、何やら楽しそうにキャーキャーとやっている。パブロは(これまた元の仲間であろう?)男性兵士と木の下で真剣に話し込んでいる。アルベルト博士は、ベルリンキャンプの司令官やリーダーと(おそらく、食料や衣料品に関するキャンプ運営のことだろう)話し合っている。自分は、あちこちに散らばっているグループに顔を出し、写真を撮り続ける。ゲリラたちの反応も以前訪れたときとは変わり、笑顔で応えてくれる人がほとんどだった。変なもので、これだけ優しい受け入れ方をされてしまうと、どういう理由かシャッターを押す回数も減ってくる。言葉ではあまり通じ合えないけれど、一緒に座ってただ何となく時を過ごしてしまう。それだけで満足感を得てしまう。昼食はいつものように、彼らからのおすそ分け。いつもと変わらない同じメニュー。こげたトルティーヤ、野菜を煮つめてドロドロになったスープ、すすがいっぱい浮いたコーヒー。たったこれだけでも、彼らと一緒に食べると本当においしく感じる。

 昼食の後すぐにデ・グアルチョ村 へと戻る。時はすでにお祭りに向けて雰囲気が盛り上がっている。鳥居を形どった村の入り口は、色とりどりに飾られ、集会所兼学校には椅子が列べられ、今にも何かが始まりそうな雰囲気だ。子供たちは、平和と革命の色を表す赤い旗の回りに集まっている。自家電器も備え付けられ、日が落ちてから行われるディスコパーティーも準備が整いつつある。この村でもそうだが、サンヴィセンテ州のサンタクララの村でも、年齢に関係なく、男も女も、一晩中踊り狂っていた。歌で、踊りで 生活の鬱憤をはらし、同時に喜びまで感じているようだ。

 すぐに食堂へ行き、トルティーヤと苦いコーヒーをご馳走になる。息のつく暇もなく、3周年を記念しての形式的ななスピーチが始まった。この村のリーダーは女性だ。それをサポートする人もほとんどが女性たちだ。一体男たちはどこへいったのであろうか? 出席者の多くも子どもと女性たちだ。男性の数は数えるほどしかおらず、招待客という様子。リーダーの女性が3周年記念の挨拶を始め、今後の村の運営について話し始めた。その傍では、故オスカー=ロメオ大司教が花嫁を祝福している写真が飾りとして置かれている。幼い女の子が熱心にその写真に見入っている。何人かのスピーチの後、即席の生バンドに合わせて可愛らしい女の子たちの合唱が始まった。歌の内容を理解はできなかったが、その雰囲気は充分に楽しむことができた。

  突然、M16自動小銃をかついだFMLNゲリラ兵たちが村の門を入ってきた。そうか、男たちは今まで保肖として詰めていたのだ。まだまだ現政府を信用することができない状態なのだ。そのためあちこちのチェックポイントに詰めていたのだ。その彼らが帰ってきた。子どもたちの撮影に飽き、村の中を少しばかり歩き回ることにする。村はずれの切り立った崖の遥か下に川が見える。川の存在は、
山の中おいてなくてはならない生命線だ。水浴び、洗濯、炊事の中心となる。これまで何度か、山奥の川でおっぱいを放り出し、子供と水浴びをしていた親子と出会ったことがある。おそらく目の前のこの川でも様々な生活が営まれているのだろう。そんな想像を勝手にしながら、なんとか下へと降りる道を探してみる。だが辺りを見回しても、道らしきものはない。仕方なく重たいカメラバッグをかつぎ直し、遥か下に川を見おろしながら雑木林の中をさまよう。上流へ向かって少し行くと、どうやら川岸へ降りて行けそうなところででた。 急な土手を一気に降りていく。小枝が顔に突き刺さり痛い。足元も不安定で何度もこけそうになる。カメラバッグを背中に担ぎ、突進していく。

  目の前に川が現れた。少し川沿いに歩いていくと開けた場所へ出てきた。川幅が広がったところで、大勢の子供たちが素っ裸で水遊びをしている。泳ぎ回ったり、高い岩の上から水中へダビングをしたり、水をかけあったりして、思いきり遊んでいる。カメラを向けるとみんな笑顔で応えてくれた。真昼の太陽が、今は一番照りつける時。そんなときに冷たい川の中へ飛び込むことができるなんて、本当に幸せな子供たちだ。遊び疲れた男の子が岩の上でしゃがみ込んでいる。望遠レンズを通してその子の姿をとらえる。ファインダーの中に少年の姿が浮かび上がった。シャッターを押した瞬間、「これだ」というイメージを捉えた。ネガにどんな像が焼き付けられたか確信した。

  村の集会所へ戻ってみると、まだお祭が続いている。はだしの子どもたちが走り回っている。その無邪気さを見ると気が重くなってくる。自分は結局ただの通りすがりの者に過ぎない。どんなに努力してこの国の人と同じように感じることはできないし、まったくそれは不可能な話である。常に異邦人であることはどうしても仕方がない。だが、たとえ、彼らの一員になることができなくても、この子どもたちのためになるのなら、少しでも彼らに一歩でも近づくことができるのなら。せめて何かしたいと思った。幼い姉妹の写真を撮りながら、いつの間にか村はずれまで来てしまった。すると、そこには先ほど村に戻ってきたFMLN兵士たちがたむろしているではないか。いつものように写真を撮ろうとする。だが、すぐ目の前に座っている若い兵士はなんだが近づきがたい雰囲気をかもし出している。解散前の点呼が始まった。多くの子どもたちが見守るなか整列するゲリラたち。サンダルばきのおばさん兵士、Tシャツ姿の少年兵。一日の終わりをしめくくる点呼のようだ。子どもたちはその様子をおとなしく眺めている。整列している兵士たちの中に自分お母さん、お父さん、お兄ちゃん、お姉ちゃんがいるのだろう。解散すると、それぞれ家族単位に分かれて散りじりになっていく。夕陽を背に受け、自動小銃を背に担いだおばさん。片手で子どもの手を引き、もう一方の手で食料の入った袋を持っているお父さん。親子3人でこの村の、そのまた奥の村まで帰っていく。なだらかな坂を上がって行く3人。3つの長い影が坂のてっぺんへと伸びていく。一瞬、柄にもなく、家族っていいなあと感動してしまった。それとともに、どこにも帰るところのない自分の中途半端な存在が苦痛だった。

 「おーい、汗を流しに行こうや」、とパブロが声をかけてきた。「今日は一日動き回って汗をかいたし、埃まみれだ。女の人たちはもう水浴びに行ってしまったぞ」。パブロはタオルと石鹸を手にして川の下流の方へすばやく歩いていく。薮をこえ、石だらけの土手をどんどん奥へ入っていく。パブロのすぐ後ろを歩いて、初めて彼が左足をほんの少しだけ引きずっているのに気がついた。怪我をしているのかなあ。あるいは事故にあったのだろうか。やっと川へ出てきた。パブロはさっさと服を脱ぎ始める。ズボンを脱ぎ終わった彼を見て驚いた。彼の左足は義足だった。膝から下は人工の足がついている。彼の動作の素早さから、このような姿を想像することができない。いつも明るく振る舞い、スペイン語が不自由なこの私をいつも何かと助けてくれた。一体どうしたんだろう。 いくつかのFMLNキャンプを訪れたとき、パブロはそこの若いゲリラ兵士たちと仲良く話しをしているのを何度か見てきた。パブロも戦闘で足を失ってしまったのだろうか。そう考えるのが自然だろう。

  辺りは薄暗くなってきた。パンツをだけを身につけた男が二人、石鹸を手にして川に入っていく。昼間の太陽に暖められたのか、水はそれほど冷たくない。なまぬるいといった感じだ。全身を石鹸の泡でいっぱいにし、気持ち良く水浴びをしていく。川で水浴びをしたなんで何年ぶりのことだろう。いい歳をした大男が、こんなところで、こんな姿で、と思うと、おかしくなってきた。

 パブロは素早く水浴びを終え、新しいパンツにはきかえている。着替えを持ってきていない自分はパンツなしでズボンをはく。濡れた肌にズボンがくっつき、少々気持ちが悪い。集会所へ戻ろうとしている私にパブロが、突然言った。「母親のために写真を撮ってくれないか」。
「お安い御用だ。ポーズをとってくれ。その岩の上に立ってみたらどうだ」。心を込めてシャッターを切る。
「カシャ」、上手に写っていてくれよ。思わず祈ってしまう。「カシャ」、「カシャ」、今度は座って、「カシャ」、計4枚。こんな場合のシャッター音は、いつもの冷たい機械音ではない。なにか柔らかな音がするから不思議だ。しかし、緊張したパブロを写してしまった。できれば、いつもの彼の笑顔を記録したかったのに。

 丘のむこうから、パティ、ローリー、シンシアの3人が水浴びを終えて戻ってきた。みんな髪の毛が濡れている。彼女たちも丁度汗を流し終えたばかりのようだ。さて、これからは夜を徹してのディスコ大会だ。  集会所ではすでに音楽が鳴り響いている。年齢、性別を問わず、みんな踊り狂っている。パティに手を引かれ、その踊る集団の中に入って行った。久しぶりのディスコだ。狭い場所に大勢の人が入りすぎ、腕を上げる隙間もない。小さな子どもたちも一緒に踊っている。激しいリズムが続いた後はムード音楽で盛り上がる。私もパティやシンシアと肌をすり合わせ一緒に踊り続ける。汗がお互いの肌と肌の間を伝わっていく。男と女の結びつきを感じる。疲れた身体だが、踊っていると妙に心地いい気分になっていく。エルサルバドルへ来てから心の奥で感じていた、迷いや不安が一掃されていく。エネルギーを放出しながら、同時に新たなエネルギーを充電しているようだ。時間も不安も忘れて、ただ身体を揺らし続ける。

  どれだけ時間が経過したのだろうか。踊り疲れてしまい、裏の井戸の側に腰をおろし、身体を冷やすことにする。石畳の廊下を行き来する人々。彼らをなんの気なしに眺めている。
「もしよければ、フィルムを一本分けてくれませんか」、一人の若者が話しかけてきた。「今日のこの村の様子を写真にとっておきたいのだが、フィルムを使いきってしまったんです」。彼は話し始めた。私より2つ歳上の彼は、すぐ近くの村の学校で教師をしていた。だが、教え子たちの未来を考えると、この国の現状に耐えきれなくなり、仕方なくFMLNゲリラに加わったそうだ。彼の首には、FMLN軍のメンバーの目印でもある赤いスカーフがボロボロになってまとわりついていた。思わず、「そのスカーフをくれないか」と口に出してしまった。「いいですよ」、彼は当然のごとく応えてくれた。だが、一度自分の首からはずしたボロボロのスカーフを手渡してくれたのだが、「こんな汚れたスカーフよりも、もっときれいなスカーフをあげよう」と言う。「その、汗と泥にまみれ、ボロボロになった君のスカーフが欲しいんだ」と訴えるのだが、「君にはFMLNの汚れたスカーフを持って帰って欲しくはない」と強く言い返される。新しいスカーフをしている少年兵を呼びにやり、彼の身につけているきれいなスカーフを私に差し出した。そこまでやられるともう強く言えない。新しい、真っ赤なスカーフには、「W REGION ★ CDTE CAMILO TURCIOS FMLN」と白文字で染められたスカーフをもらった。そのスカーフは、日本に戻った私の手元にある。

  今日は疲れきった。ディスコのすぐ隣は寝室兼診療所。床に薄いマットレスを敷いて横になる。眠りにつく意識の中で、踊り疲れたパティ、ローリー、シンシアの3人が部屋に入ってきて次々と横になっていくのを感じる。誰かがすぐに寝息をたて始めた。今日も一日さまざまなことがあった。その全てに満足している。大好きなエドガー=スノーの言葉を思い起こした。

 「 追憶できる年齢に達するほど幸運であるならば、長い生涯は年限ではかるべきものではなく、その内容の豊富さで評価すべきものであることを人は知る。過去のものとして振り返ってみるときに初めて、どこで一つの人生が終わり、新たな生活が始まるかを識別することができる」(『目覚めへの旅』)

  自分も知らぬ間に寝入っていた。

3月11日
  今日は29回目の誕生日。しかしここエルサルバドルでは普段と何の変わりもない。生活。同探り当てたのか、日本から思いがけなく「誕生日おめでとう」の電話。柄にもなく一年間の無事を感謝する。今日は、グアサパに近いエル・パイスナールのFMLNキャンプを訪れようと思う。1ヶ月ほど前、デ・ニカラグアのキャンプに行った後、エル・パイスナールの位置は地図で確認している。途中の町、アギアレス からの道もおぼろげながら覚えている。多分道に迷うことはないだろう。今日はその道を歩いて行こうと大胆な計画をする。何が必要になるか分からない。カメラバッグを機材でいっぱいにする。

  朝7時にはゲストハウスを後にし、東バスターミナルから 番のバスに乗り込む。 アギアレスからはなんとかなるだろう。バスの中では、地図を何度も見て、FMLNのキャンプがあるであろう位置を確認する。アギアレス の町はサンサルバドルから北へまっすぐにのびる国道4号線上沿いにある。この町は、国道上のガソリンスタンドが目印だ。ガソリンスタンドの横は市場と中央公園。この町からエル・パイスナールへ向けてバスが出ているだろうと思っていた。しかし、やはりこの計画は甘かった。町の中を歩き回ったのだが、西へ向かうバスは見あたらない。

  とりあえず公園の横のカフェに入ってコーラで喉の乾きをいやすことにする。さてどうしたものか。やはり、最初に考えていたようにキャンプまで歩いて行かなければならないのか?考えてばかりでは何の前進にもならない。椅子から腰を上げることにする。乾季の真っただ中、道は乾ききっている。白い砂埃が舞い上がる中、重いカメラバッグをかついで歩き始める。しばらく歩き続けた。だが、町外れにも行かないうちに疲れがでてきた。 線路を越えた所に一軒のカフェがあった。そこで再び休憩である。だが、休んでばかりもいられない。ビニール袋にコーラを入れてもらい、ストローで吸いながら再び歩き始める。近くには異臭を放っている汚いどぶ川が流れている。鶏がヘドロの中に頭をつっこんで何かをつついている。町のレストランで食べるチキンはこんな所から出ているのだろうか、と想像すると、これからチキン料理をオーダーする気がしない。道を左に曲がると樹の並木が続いている。葉と葉の間を通り突き刺すような太陽光線が、乾いた道にさまざまな模様を作っている。ほんのわずかな間、ひんやりとした空気の中を歩き続けることが出来た。薄暗い山の斜面を歩いていくと正面から大きな牛2頭立ての荷車が走ってきた。荷車の上には一人の男の子がすっくと立ち、牛たちを上手く御している。

  しばらく歩いていくと一軒の農家があった。その農家の畑を通り抜け、さらに進んでいく。目の前には緑の山々が続くだけである。本当にこの道を歩いていくとFMLNのキャンプに到達できるのだろうかと、不安になってきた。次第に、この坂を登りきったら、あの木まで行ったら、もう10分歩いて何の変化もなかったら、引き返そうと思い始めた。何時間歩いたのだろうか。汗がとまらななくなっている。「戻ろう、戻ろう」と念じながら、なおも歩き続ける。自分にはこんな根性はないはずだ。でも、どうしてここまでして前へ進むのだろうか? 馬鹿な事を考えながらなおも前へ進む。3、4軒の農家が点在する集落へやってきた。そこの奥さんに訪ねてみる。「この道をいくと、エル・パイスナールに行けるのですか」「その通りですよ」 その答を聞いて元気がでてきた。よし歩き続けるぞ。砂糖きびととうもろこし畑があたり一面にひろがっている。畑と畑の間、岩でつごつした道を踏みしめる。自分の足音がこれほど力強かったとも今まで知らなかった。道のはずれに立っていた大きな木の下で休むことにする。カメラバッグを肩からおろす。身体がふっと軽くなる。これからどれだけ歩き続けなければならないのだろうか。また不安が襲ってくる。引き返そうという気も依然として残っている。「一体俺はこんな所で何をやっているのだろうか」。いらぬことをとめどもなく考え始める。空は真っ青。気持ちがいいのだがその爽やかさに心がついていかない。さあ出発だ。立ち上がる。カメラバッグが異様に重く感じられた。

  後ろを振り返ってみる。低く連なる山々が迫っている。たった一人であの山々を越えて歩いてきたのか。なかなかやるじゃないかと、自分で変な自信をもつ。前の方から、人の話し声と鶏の鳴き声が聞こえてきた。また一軒の農家が現れた。若い男とその親父さんらしき人がうさん臭そうな視線を投げかける。どうしようかと迷ってしまうが、道は一本しかない。その道も有刺鉄線の柵で閉ざされている。木の枝にとまっている鶏がいまいましそうに鳴いている。どうにもこうも、彼らに話しかけるしかない。「この道はエル・パイスナールに続いているのですか」「そうだよ」。再び、安心した。

  彼らの視線を背中に浴びながら柵を越え、再び歩き続ける。しばらく行くと学校帰りと思われる子供たちと出くわした。「エル・パイスナールは近くかい」と聞くと、その方向を指差してくれた。ごつごつとした石だらけの山肌を一気に駈け降りる。幾つも家が並んでいる。整備された大きな道が広がっている。駄菓子屋の店先に腰を掛け、そこのおばちゃんに「FMLNのキャンプはどこ?」と息を切って聞いてみる。すると、「そこを左にいってごらん」と答えてくれた。まずはコーラでのどをうるおし、気力を回復させる。

 駄菓子屋のおばちゃんに言われた通りに道を歩いていくと、驚いたことに、家の壁に大きく、”FMLN CAMP ⇒ ”と赤いペンキで書かれていた。ここまでおおっぴらになっていたのか。山の斜面には大きな旗でFMLNとある。国連のヘリコプターへの目印だろうか? この国の状況はこの数週間で、自分で想像していたよりも激しく変わってしまっていたようだ。 矢印に沿って山を登り始める。すぐに3人のFMLN兵士と出会う。「司令官と会って話しをしたいんだが」と話しかけると、「あっちの道を上がっていったらいいよ」と答えてくれた。大きな石がごろごろとした、歩きにくい道を進んでいく。すると、右手に森を切り開いて作った演習場が現れてきた。いよいよやってきたかな、という気がしてくる。

  山肌をはいつくばるようにして進む。ふと上を見ると、そこにはFMLNの兵士たちがいた。その数およそ100人弱。ハンモックに横になっている者もいれば、武器の手入れをしている者もいる。若い兵士が空に向かいピストルを向けている。 すぐに司令官に会い、取材の許可を得る。幹部の集まるテントを除いてキャンプ内は自由に歩き回っても何も不都合はない、と言ってくれた。ここは和平条約に従ってFMLN軍の設定された暫定キャンプだ。サンサルバドル周辺に散らばっていたゲリラたちが集まってきている。たった今話しをした司令官も昨日サンサルバドルの南、サルゴサから65人の兵士を連れて移動して来たばかりだと言う。話をしている横では数人の兵士が歯の治療を受けている。治療を施しているのは、どうやら首都からやってきた医学生という。長椅子の上に横になった兵士は、脇に自分の自動小銃を置き、真っ赤な血で口の回りを染めている。このキャンプに住み込んで、彼らの生活を助けているフランス人の青年は井戸造りに精を出している。なだらかな斜面では、青空教室の下で、ゲリラ兵士たちが歴史の学習会をしている。木漏れ日のしている草の上で、若いカップルが寄り添って昼寝をしている。ギターを弾いている少年兵の横では、ライフルで射撃の真似ごとをしている兵士もいる。一つのキャンプだが、それぞれがそれぞれの時を過ごしている。

  ONSULのランドクルーザーがキャンプの真ん中を通り抜ける。この元ゲリラ兵士たちが武装解除に応じ、今後どのようにして民間人として生活していくのか、国連スタッフも精力的に援助活動している。突然、アイスクリーム売りのおじさんが現れた。彼はふもとの村から、ゲリラ相手に商売をしにやって来ている。村人とゲリラの関係は面白い。全然違和感がない。アイスクリームを口にほおばり、撮影を続ける。以前訪れたデ・ニカラグアのキャンプで出会った女性兵士にここで再び会った。ハンモックに横になり熱心に本を読んでいる兵士もいる。ふと目が合ったひとりの若い女性兵士。非常に魅力的だ。そして私の好みだ。自然とカメラを向けてしまう。彼女はレンズを真っ直ぐに見つめ返し、微笑む。なんだかどぎまぎしてしまう。

  レンズを通して、ファインダーを通して、そして、直接眼を見つめ合って会話できることの素晴らしさをここでも感じてしまう。

  一部の兵士たちの移動が始まった。背にはバッグ。手には銃。何人かの兵士は身体いっぱいに弾薬を付けている。いつでも戦闘を開始できるかのようないでたちだ。しかし、その装備の中で何よりも目立つのが、肩のベルトに光るスプーンだ。「いつでも、どこでも生き抜いてやる」という象徴のようだ。このスプーンこそが彼らの生活の全てを表している。このまま平和条約が何の障害もなく遂行されていくと、近い将来彼らは銃を置くことになるだろう。権力の抑圧に屈することなく立ち上がり、自分を信じて戦い 続けた──愛しい人を守るために、あるいは愛しい人との生活を守るために。そこ には難しい主義・主張・イデオロギーは介在しない。もうしばらくすると彼らも山を降りるだろう。その時、ゲリラとして闘かった期間を、この後どのように振り返るのだろうか。ひとり一人の、個人としての歴史はその時始まる。

川での水遊びに疲れて一休みする男の子。       
(グアルチョ村、ウスルタン県、エルサルバドル 1992年3月)

政府軍の奇襲に備えて見回りに出るFMLNゲリラ兵士。
(エル・パイスナール、エルサルバドル 1992年3月)

 

FMLNのコンセントレーションキャンプに住むゲリラ兵士。
(エル・パイスナール、エルサルバドル 1992年3月)
FMLNゲリラたち。
(デ・ニカラグア、エルサルバドル 1992年3月)
村の設立記念のお祭りにて。
(グアルチョ村、ウスルタン県、エルサルバドル 1992年3月)
食糧の配給を受けるFMLNゲリラ兵たち。  
(デ・ニカラグア、エルサルバドル 1992年3月)
水浴びを終えてポーズをつけるパブロ。
(グアルチョ村、エルサルバドル 1992年3月)
牛飼いの少年。
(アギアレス村、エルサルバドル 1992年3月)

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