首都グアテマラシティから東北へ80キロメートル、チマルテナンゴ県コマラパの郊外。遺骨の発掘作業が始まったのは五月初めだった。コマラパの発掘現場の一つは、「コナビグア」の創設者の一人、ロサリーナの父親の遺体を捜す場所でもあった。
「コナビグア」はこれまで、さまざまな場所で遺骨の発掘を主導してきた。今年になってやっと、ロサリーナは自分の父親の遺体を捜す機会に恵まれた。82年7月5日に父が連れ去られてから二二年が経っていた。彼女は近日中に、「コナビグア」の代表を辞め、内戦中の被害者救済のために設置された「国家賠償委員会」の議長に就任する。そんな多忙な日をぬって、できるだけ発掘現場を訪れていた。
遺骨発掘は原則として、それぞれの村人がボランティアで行なうことになっている。だが誰もが仕事(多くは農業)を持っている。それゆえ人手が足りなくなる。そんなときは、近くの村から応援に駆けつける。この日は、遠くキチェからも助っ人がやって来ていた。
「キチェ語で、鍬やツルハシはなんと言うのですか」
「鍬はスロム、ツルハシはコートッヴァル」
すると、ソロラから華やかな民族衣装を身に纏って来ていた男が横から口を出した。
「そんな風に言うのか。知らなかった。カクチケ語では、スペイン語そのままで『アサドン』、『パラ』って言うんだよ」
自らの土地や固有の文化を頑なに守ろうとする先住民のインディヘナたちの異文化交流が、遺骨発掘で進むのも皮肉なものだ。
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