虐殺の証拠を掘り起こし
死者の魂を弔う

─ グアテマラ内戦の記憶 (1) ─
20万人が虐殺の犠牲となった内戦が終結して8年。すでにその歴史自体が風化しつつあるなかで、遺体の発掘によって事件を証明し、死者の命の尊厳を回復しようとする作業が、今日も延々と続いている。

 雨期の空はうつろいやすい。真っ青な空に、重くたれ込めた雲が広がり始める。
 6月26日の午後遅く、グァテマラ・チマルテナンゴ県のコマパラ村では、そろそろ発掘作業を終わりにしようという雰囲気が漂い始めていた。そんな時、薬莢が一つ見つかった。ロサリーナ・トゥユク(48歳)は、自ら鍬を手にし、穴の前に立った。ここでの発掘調査に残された時間はあと一週間しかない。彼女はいつものように表情一つ変えることなく、鍬を土に当て始めた。
  ぼろぼろになった靴、少し触れるだけで形が崩れるビニール袋が出てくる。発掘を見守る者たちは、もしやと期待する。しかし、遺体は出てこなかった。
  「マル・スゥエルテ!(ついてないな)」
  法医学チームの男がつぶやいた。落胆のため息が漏れる。それを合図に、その日の作業が終了した。


遺体の発掘は
命の尊厳の回復

 中米グアテマラの内戦が終結したのは8年前の96年12月。いまは表面上、戦禍の跡を感じることはない。首都や地方の村を訪れても、一般の人の軍に対する恐怖は薄れ、軍の暴力によって20万人近い犠牲者を出した歴史は忘れられようとしている。
  しかし、そんななか、コナビグア(「連れ合いを奪われた女性たちの会」)はいまも虐殺された(であろう)肉親を探し続けている。 「秘密墓地」の遺体探しはすでに88年ごろから始まっており、発掘のことは、グアテマラ国内にとどまらず海外にも伝えられていた。だからいま、とりたててニュースになることはない。
  にもかかわらず、遺体発掘にこだわるのはなぜか。埋められた場所や遺骨を調べることで、殺害された状況を明らかにして、虐殺の証拠とするためだ。
  また、基本的に共同体文化であるマヤの先住民族は、その伝統に従って埋葬されることではじめて、「命の尊厳の回復を意味」することになる。そうでないと、殺された死者の魂は、永遠にさまよってしまうのだ。

遺骨を前にして、静かに涙を流す犠牲者の家族。
(チマルテナンゴ県・パチャイ村、2004年7月)