虐殺の証拠を掘り起こし
死者の魂を弔う

─ グアテマラ内戦の記憶 (3) ─
内戦を後押しした
レーガン元大統領

 米国のレーガン元大統領の死去が伝えられたのは6月5日。CNNテレビは、東西冷戦を終結に結びつけたとその業績を讃え、連日特別番組を流し続けた。だが、中米諸国での元大統領の政策はどうだったのか。
  「グアテマラでの皆殺しに近い虐殺は、恍惚としてしまうほどの規模になた。レーガンは、グアテマラにおけるヒトラー中のヒトラーとでもいうべきリオス・モントを民主主義に全てを注ぎ込んだ男として讃えている。」(注)
  事実上、米国の後ろ盾を得た軍によって犠牲者が増大したのがグアテマラ内戦だ。その始末をインディヘナたちは、自分たちの手でつけようとしている。
 観光産業は、グアテマラの大きな外貨収入源だ。観光客は、マヤ遺跡や鮮やかな民族衣装を身にまとうインディヘナの女性たちを目当てにやってくる。だが、そこに住む彼ら彼女らの負の歴史にまで思いを馳せる客は少ない。
  「八年前からずっと、グアテマラに来たかったんです! 一年間、この国に住むんです!」
  そんな日本人女性に出会った。彼女が最初に落ち着いたのが、グアテマラの中の「異国」、観光地で名高いアンティグア。地元の家に下宿しながら、少しずつスペイン語を勉強し、現地の生活を楽しんでいる。
  しかし、そんな彼女が偶然、『グアテマラ 虐殺の記憶』(岩波書店)を手にし、読み始めた。ある日本人が、その内容の重さに最後まで読み切れなかったという本だ。
  「すごい国だったんですね。先住民の衣装が美しいだけの国じゃないのですね。私たちはいま、一体なにをしたらいいの」
  「確かに、この国の歴史はむちゃくちゃだけど、それはどんな国にもあること。この国が好きなら、この国がどうなっているのか、もう少し知った方がいい。とくに先住民族のことを」
  いまのグアテマラは一見、暴力のない、平和になった国としか見えない。でも平和な暮らしを経験するだけでは、インディヘナたちの苦しみを意識することはできないだろう。
  だが、ちょっと想像力を働かせば、米国がこの地で行なったことは、昔も今もどこかで続けられていることに想いが及ぶ。日本は、そんな米国の後追いをしているのである。
 民族虐殺の歴史は、500年前のスペインによる植民地化政策からはじまった。そして、この国のほんの20年前の内戦の事実もまた観光客の目に触れることなく、再び歴史の中に葬られようとしているのか。
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(取材協力・石川智子/桐明忍)
(注)ノーム・チョムスキー/益岡賢訳『アメリカが本当に望んでいること』(現代企画室)


1992年のノーベル平和賞受賞者リゴベルタ・メンチュウ氏
が発掘現場を訪れ、掘り出された遺骨を悼む。

チマルテナンゴ県・パチャイ村、2004年7月

被害者のための「国家補償プログラム」が動き出した。
「補償プログラム委員会」の議長に選び出された
ロサリーナ・トゥユク氏(左)は、オスカル・ベルシェ大統領の
前で財務大臣から小切手を受け取る。
グアテマラシティ、2004年7月

コマラパの村には、グアテマラの歴史が描かれた壁画がある。そこには軍部による住民虐殺の絵もはっきりと記されている。
中米に典型的な社会体制は、少数者支配による大土地所有と強制的労働。アルベンス政権が1954年社会改革を始めると、グアテマラ支配層は、CIAの助けを得てクーデターを起こす。追いつめられた人びとが抵抗を続けると、米国は、中米の共産化を防ぐという口実で、グアテマラ軍部を積極的に援助してきた。

チマルテナンゴ県、2004年7月