果てのないカレンの武装抵抗

─ ビルマの辺境 ─ 歴史と民族の隙間に生きる人びと
 近くのタイ軍の警備小屋に行ってみた。国境警備の兵士がのんびりとハ
ンモックに寝っ転がっている。
「おう、ニップン(日本人)か。パスポートを見せろ」
彼はぶっきらぼうに、しかし親しみを込めて言ってきた。私は素直にパス
ポートを差し出した。
「何しにきたんだ。ここは危ないぞ、向こうのビルマ兵はいつ攻めてくる
かもしれないからなあ」
対岸に顔を向け、銃を構える格好をする。彼と、日本車の性能の良さ、電
化製品の素晴らしさ、タイの生活など、とりとめのない世間話をしばらく
していた。そのとき対岸からボートが一艘着いた。
「ほら来た、ビルマ兵だ」
 Tシャツにジーパン姿の若い男たちが10人ほど、ボートから下りてき
た。
「ビルマ兵がタイ側に渡って来てもいいのか。あんたら、何もしないのか」
「いいんだ、私服で来て、買い物をして帰るだけなら別にいいんだ」
 何か釈然としなかった。
 腹ごしらえをしようと、近くの食堂に入る。すると、先ほどの私服のビ
ルマ兵が何人かいる。この食堂は、KNUの息のかかったカレン人も出入
りしている。タイ・ビルマ国境の小さな食堂の中に、紛争の当事者である
ビルマ人、タイ人、カレン人が、微妙な緊張のもとご飯を食べている。し
かし、何ら問題は起きないようだ。いったい全体彼らの紛争の原因は何な
のか、理解を超える現実を前にして、私もまた、カオパッド(タイチャー
ハン)を口にする。

 ビルマ取材は、タイ国境を越えての取材ばかりでない。これまで3度、
首都ラングーンに入り、ビルマの各地を訪れた。しかし、行動するにはか
なりの限界を感じた。
 ラングーン中央駅近くのスラム街へ入り込み、ぶらぶら歩きながら撮影
をしていた。すると、私の背後から一人の男が現れ、「ここは外国人のは
いる地区ではない」と追い出された。また、高架橋の建設現場で働く子ど
もたちの姿を撮影していたとき。「出ていけ、写真撮影をやめろ」と、現
場監督から怒鳴られた。ビルマ国内でビルマの人に怒鳴られた経験はこれ
が初めてであった。建設現場を後にして2区画を過ぎるまで、2人の若い
男がずっと私の後をついてきた。
 ある時、カレン人の多い地方に、船に乗って行ってみた。船着き場に着
くやいなや、役所に連れて行かれた。詰問調で、その土地にやってきた目
的・滞在ホテル名・予定行動・滞在期間・帰りの日付予定を聞かれ、書類
に記入させられたのだ。
 もちろんビルマ語が話せない私は、その土地の人に話を聞けるわけでは
ない。たまに英語や日本語を話すビルマ人に出会うが、政治的な話はもち
ろんできない。どこで誰が話を聞いているのか分からない。外国人と話を
した、接触したというだけで投獄の恐れがあるところなのだ。
 ビルマには昨年、約235、000人の観光客が訪れた。そのうち何名
が、観光客に見せない裏のビルマの姿を把握できたのだろうか。
「軍事政権が力で国民を押さえつけている」
 民主化を求めるビルマの人々がそう訴えても、観光客として観光地のみ
を訪れる人にはその本当の姿は見えない。笑顔で接してくれるビルマの人
に感動し、その好印象だけで旅を終える。逆に、「メディアの報道するビ
ルマは大げさすぎる。なにもないじゃないか」とも評される。