最近のSPDCは、自らもその一員であるASEAN(Association of Southeast
Asian Nations=「東南アジア諸国連合」)に非難されはじめている。従来のASEANの対ビルマ政策は、西欧諸国のように圧力をかけてSPDCに民主化を促すより、対話による「建設的関与」によって同国に変化を求める、という立場を取っていた。
ところが、遅々として進まないビルマの改革に、ASEAN内からも不平が漏れてきた。とうとう昨年12月のASEAN首脳会議で、スーチー氏の解放を促す議長声明が採択さた。内政不干渉が原則のASEANとしては異例のことであった。さらに最近になって、SPDCに最も理解を示していたマレーシアやインドネシアも方針を変え始めた。
ASEANの特使として今年3月、マレーシアのサイドハミド外務大臣が、民主化状況を視察するためビルマに派遣された。ところが、スーチー氏への面会を許可されず、滞在予定を1日短縮して帰国の途につかざるを得なかった。マレーシアはいうに及ばす、ASEAN全体の面目も丸つぶれであった。
さらにインドネシアのハッサン・ウィラユダ外務大臣は、「国内問題だといって、ノーベル平和賞受賞者拘束の批判をそらすのはもうできないのだよ。人権侵害は、もはやそれが国内問題だということは通じない。それが真理だよ」(『ウオール・ストリート・ジ
ャーナル』)と語るまでになった。 これを聞いた知り合いのビルマ人は、「あのインドネシアに人権のことで説教されるとは思わなかった」と嘆く。
スーチー氏の動向と生存が公に確認されたのはこの5月初めのこと。アナン国連事務総長の特命を受けた、事務次長(政治局長)のイブラヒム・A・ガンバリ氏がビルマを訪れ、スーチー氏と会談したことによる。実に二年半ぶりに外部の者がスーチー氏と接触し、その状況を確認できたのだ。 どうしてこの時期に国連事務次長がビルマを訪れることになったのだろうか。それは、昨年12月以降、人権状況が全く改善されないビルマを国連安保理の議題に乗せる動きが出始めていたからだ。
米国の軍事介入を怖れて首都機能を突然ラングーン(ヤンゴン)からピンマナに移し、国際社会から距離を置こうとしたSPDCも、さすがにその動きには敏感にならざるを得ないようだ。
|