ビルマ 民衆の中で
抵抗する人びと

軍事政権が続くビルマからは、民衆が反政府行動を起こしたという報道はあまり届か ない。しかし、抵抗は封殺されているのだろうか。その実態を確かめるべく、三カ月 にわたって民衆の中で取材した。
3人揃った「マスターシェ・ブラザーズ」
右から、ルーゾー、ウー・パパレイ、ルーモー

 常宿としているホテルにたどり着くと、宿泊料金が値上がりしている。一年前は、 一週間の滞在で一日当たり5ドルだった。だが、今回は7ドルになっている。
 「お得意さんだからなんとかしてあげたいのですが、ディーゼル石油の値段が上がっ て、仕方ないんです」
 ホテルのマネージャーは申し訳なさそうに、そう説明する。


 昨年10月、世界的な原油高に伴って、ビルマでもガソリンや石油製品の値段が一気 に上がった。タンシュエ上級大将が実権を握るSPDCは、欧米諸国から経済制裁を 受けて外貨が不足し、国民生活は疲弊し切っている。これまで一ガロン160K(チ ャット)だったディーゼル石油は、一気に1500Kにまで高騰した。
 マンダレーでは一日のうち、電気が通じるのは2〜3時間ほど。外国人の泊まるホ テルは、どうしてもディーゼル発電機を使わざるをえない。マネージャーの苦しさは 理解できる。さらに11月、経済的な苦境に追い打ちをかけるように、タンシュエ氏 の命令で、ラングーンからピンマナ市(マンダレーから南へ約350キロメートル) へ首都機能が移転された。これで経済に加えて、政治的な混乱にも拍車がかかった。
 さらに、民主化のシンボルであるアウンサンスーチー氏の自宅軟禁は今も続き、民 主国家への道筋は、全く見えてこない。ビルマ専門家の多くは、現在の軍事政権の基 盤の強固さを否定できないという。この国の状況を1993年から取材している私も、 この現実を認めざるを得ない。
 だが、ビルマを訪れるたびに感じるのは、民主化活動が抑え込まれているといって も、その運動の灯は完全に消滅してしまったわけではない、という思いだ。取材活動 を続けるうちに、信頼できる友人もできた。彼らを通して、ビルマ国内で、軍政に反 対する人びとに紹介される機会も増えている。自らの命や安全を投げ打ってまで、自 由や民主主義を求める人はまだまだいる。


コメディを通じて 反政府活動を続ける
マスターシェ・ブラザーズ(ヒゲ兄弟)

 その日訪れたのは、マンダレー市の南に位置する39丁目、80番街と81番街の 間。そこに、ビルマの伝統演劇(舞踊や喜劇、掛け合い漫才)を見せてくれる自宅兼 演舞場がある。ウー・パパレイ(57歳)とルー・モー(55歳)兄弟、それに従兄弟の ルー・ゾー(52歳)加えた通称「マスターシェ・ブラザーズ(ヒゲ兄弟)」一座があ る。彼らは、ビルマの日常生活の風刺や政府を揶揄する劇を演じている。
 ビルマの民主化運動について少し知識のある人は、この「マスターシェ・ブラザー ズ」という名前を聞くと、アウンサンスーチー氏とのつながりを思い浮かべる。実際、 自宅兼演舞場には、ウー・パパレイとルー・ゾー、アウンサンスーチー氏が一緒に写 った写真が何枚も飾られている。
 彼らの名前を世に知らしめたのは一九九六年のこと。ラングーンのスーチー氏宅に NLD(国民民主連盟)の関係者が集まった。そのとき、ウー・パパレイとウー・ゾー は、政府を揶揄する劇を演じて逮捕された(ルー・モーは所用でマンダレーにいて難 を逃れる)。2人は7年間の強制労働の判決を受け、中国と国境を接する最北のカチ ン州へと送られた。政治犯として収容された2人は、他の囚人とは別の扱いを受ける ことになる。石切場での作業の際、2人は特別に足枷をつけられ、不自由な状態で労 働を続けさせられたのだ。


「マスターシェ・ブラザーズ」 の代表者ウー・パパレイ(左)と弟のルーモー。演劇を通じて、自分たちの住む家の通りを 「ビルマのブロードウェー」 にしたいと話す。

 その後、彼らを救うため、人権団体のアムネスティ・インターナショナルや米国の 俳優組合が動いた。英語を流暢に話すルー・モーによると、二人の解放を求める嘆願 書150万通が世界中から軍事政権宛に届いた。その結果、彼らは五年の服役で自宅 に戻ることを許された、という。
 解放されたといっても、彼らは完全に自由の身になったわけではない。日常生活に 絶えず監視の目が光り、当局からの通達によって、彼らは公の場で自分たちの演劇を 披露することを禁止された。さらに、自宅での上演も禁止された。


「演技をするのは、自分たちの生活であり、仕事であり、人生である」
 ウー・パパレイは、自分たちの信念を曲げず、当局の禁止命令にもかかわらず、い まも演技を続けている。
―― どうしてそこまでして信念を貫き、活動を続けるのですか。
 「一九九六年、初めてスーチーさんに会ったときに言われたんだよ」

タ今から15年以上前、ウー・パパレイは40代前半のアウンサンスーチー氏と一緒に記念撮影 (ウー・パパレイ氏提供)
―― 「私が演説で人権とか民主主義のことを人びとに訴えかけてもなかなか伝わらな いんです。それに一般の人びとが私の演説集会に参加するのは難しいです。でも、ウー ・パパレイたちが劇を通じて、ビルマの人びとに、世の中のおかしなところや間違っ たところを指摘してくれれば、よっぽどそっちの方が人びとに民主主義とは何かを伝 えられるんですから」 とね。