東アジアからユーラシア大陸を経てトルコを結ぶ、現代版シルクロード。一九五九年、当時の国連極東経済委員会(ECAFE)により、「貿易、観光の需要に応え、ひいては域内の経済・社会発展を促進するための国際陸上輸送網の整備を目的とし」て計画された。もっとも、新しい高速道路を造るのではなく、「各国既存の道路の中で地域間、国家間の交通網として活用が可能なものを特定し、これらを繋いでいく」という仕組み。
ところが、アフガニスタン、ベトナム、カンボジア、ビルマ国内で紛争が続き、さらに湾岸戦争が起こる。その実現化は困難とされていた。しかし、アジア地域に平和が訪れ、各国間で貿易や観光などの経済的な結びつきが深まるにつれ、「アジアハイウエー」が見直されるようになってきた。
二〇〇四年四月、国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)主導でアジアの二五カ国が政府間協定に調印し、アジアからヨーロッパカ三二カ国を結ぶ「シルクロード」は息を吹き返した。日本は、この「アジアハイウエー」計画を推進するため、年間約一〇〜一五万ドル程度を継続して負担している。
その「アジアハイウエー」の中で、長年閉ざされていた地域がビルマ国内にあった。
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