軍の支配するビルマ ─ 民主化への兆しは見えず − (2) |
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< 張り巡らされた監視と密告体制 > 「給料は月に 3000K(チャット=ビルマの貨幣単位)くらい。勤務時間 は夜の7時から朝の3時まで。それでは生活はできない。だからアルバ イトで英語を教えてた」 そう語るT(38歳)とはビルマ滞在中4度会った。現地に長期滞在して いる、信用のおける日本人から紹介してもらったビルマ人だ。彼は2年 前まで、国営企業に勤めていた。しかし、今は民間の会社で働いている。 労働条件が悪すぎたから転職したのだ。しかし、それは表向きの話。 実際は、もと働いていた国営企業化から正式な退職許可が下りて いない。 ビルマのお金は、「実勢レート」で米1ドルで約1000K(2003年10月 現在)。彼の月給は米ドル換算で3ドルにしかならない。物価が安い ビルマといっても、さすがにこれでは生活はできない。 ちなみに首都では、外国人が利用する安ゲストハウスの受付で月2万K (US$20) あまりの収入。外資系のホテルで働くフロント職で約5万K(US $50)。生活雑貨や新聞・雑誌を路上で売っている人たちで2万Kから 6万K(US$60)の売り上げ。 彼の給与がいかに安いか。もちろん公務員という立場だから、米や油、 バス回数券などを格安で支給/配布され、それを又売りすることもできる。 だが、3人の弟を抱える彼の生活状況は厳しい。 「上司に顔が利くコネもないし、生活は苦しかったですよ」 運良く同じ業種の仕事が見つかり、手に技術もあったので仕事を変わる 機会が巡ってきた。だが、退職許可が下りなかったのだ。上司、そのまた 上の役職の人に呼び出され、脅されるような形で復職を迫られていた。 「先週も呼び出されたんだ。それも同じ部屋に軍関係者もいた。『職場 復帰をしなかったら今後どうなるか分からないぞ』。それはまさに脅しだっ たよ」 新しい職場のオーナーは、彼の立場を理解してくれた。彼をマンダレー (首都ヤンゴンから北へ約400Kmに位置するビルマの第2の都市)へと 3ヶ月ほど転勤させてくれた。 「そう、元の職場からの呼び出しを受けることができないようにする配慮 からです」 彼とも毎回、会う場所を変える。人の出入りの多い繁華街の喫茶店の隅や 私の借りた部屋でが待ち合わせの場所だった。 現地の取材で一番難しいのは、取材対象の安全確保だ。単なる挨拶程度 の接触でさえ、取材相手とその家族が生活しづらくなるかもしれないからだ。 さらに取材内容によっては最悪、拘留・投獄さえも念頭に置いておかねば ならない。そう考えるとついつい取材する気力をそがれる。私はパスポートを 持つ外国人だからそれほど心配する必要はないが、現地の人は逃げ場が ない。 それゆえ、取材にも二の足を踏んでしまう訳だ。自己規制ではないが、そう させるようなシステムが存在する。 昨年の暮れのことだった。その日は、友人のゲストハウスで夜遅くまで喋り すぎた。夜11時を過ぎてしまった。 首都ラングーンの目抜き通り。町の中心であるスーレーパゴダ(仏塔)前を 通りかかる。街灯のある通りといえど薄暗い。ちょっと離れたところでは明か りの全くない通りさえある。これが一国の首都なのか。いつも感心してしまう。 約15分ほど歩き続ける。暗闇で誰か座っているのに出くわした。ビルの 谷間、月明かりのない真っ暗な中で人の気配を感じ、心臓が縮み上がった。 顔は判別できないが、眼はじっとこちらの様子をうかがっている。もちろん 路上生活者ではなない。 誰だ?頭の中が素早く回転する。 あ、そうか、例の人たちか。誰だかすぐに分かって安心する。危害だけは加 えられないだろう。それにしても不気味な存在だ。 彼(彼ら)の存在に気づいたのは、ラングーンに滞在し始めて数ヶ月目のこと。 これまで十数年、ビルマに通ってきたが、初めて目にした人たちだった。後で 地元の人に聞くと、「昔から居たよ」、という。 夜9時以降くらいから出没し始めるだ。腕に赤い腕章をしているから、それと すぐに分かる。彼らは、夜の間、通りに不審な人物が動き回っていないか 監視する男たちなのだ。 軍関係者や政府関係者ではない。 自警団ほどの 役割はないが、住人が自分たちの住む地区を持ち回りで監視しているのだ ビルマ人であるTが、私の住むゲストハウスへ頻繁に訪れるのはやはり危険 である。部屋への出入りを近所の人に見られているからである。彼の家へは 友人と一緒に訪れたことがある。それもたった1回きりだ。 本当は私の家で食事をごちそうしたいんだが、君は『危険』すぎるからそれも できないなあ。彼の声は、申し訳なさそうな小さくなる。 相互の監視と密告の体制はあちこちで張り巡らされている。 |
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