懸命に生きる・大人たちの暴力におびえ
『毎日新聞』大阪版夕刊6月24日(木)

  中米・エルサルバドル、グアテマラ。
  ゴミの海原あさり−生活の糧を探す。
  内戦の後遺症は抵抗力のない子どもに


 エルサルバドルの首都サンサルバドル郊外、ネハパ市のゴミ捨て場。見渡す限りゴミの”海原”は25f(甲子園球場の6倍)もあるという。トラックの荷台に積まれていた馬の死がいを、手袋とマスク姿の男二人が大きな穴に投げ捨てた。地面を覆っていた無数の鳥が一斉に飛び立つ。息が泊まるほどすえたにおい。風が吹くと、砂ぼこりとゴミが吹き上げられ、目を開けていられない。
 首都が毎日吐き出す1500dのゴミに、子どもから高齢者まで約1000人の男女が生活の糧を見いだす。学校に行けない子どもたちが金になる缶や瓶を拾い、マンゴーなどを見つければその場で口に入れる。

 中米一を誇る近代的ショッピングモール、メトロ・セントロから車で数十分の距離。繁栄と貧困が隣り合わせの現実は、グアテマラ、ニカラグアでも同じだ。

 中米各国は1960年代から90年代にかけ、大土地所有制による極端な貧富の差、それを暴力的に支える独裁体制、そして東西冷戦の代理戦争の場となり、内戦が続発した。ニカラグアではサンダニスタ革命による社会主義国家の成立と崩壊。エルサルバドルの悲劇は米国人のオリバー・ストーン監督が映画化したし、ホンジュラスやコスタリカは、米国のニカラグア介入で国土を戦場の一部として使われた。最後まで続いたグアテマラ内戦は、96年の停戦までに死者20万人を出した。

 96年で中米の内戦に終止符が打たれたが、どの国でも紛争の原因の大きな一つ、土地改革は手つかずだし、貧富の差を生む社会体制は変革の兆しもない。エルサルバドルもグアテマラも市場経済を優先させ、富裕層はますます豊かになり、貧困層は依然苦しい。中南米はこのネオリベラリズム(新自由主義)一色だ

 そのひずみは社会的弱者のの子どもたちをむしばむ。グアテマラの首都グアテマラシティーのはずれで10歳くらいの男の子が一人、接着剤の入ったポリ袋を手にしていた。目はうつろ、話しかけても反応がない。路上で生活する子どもたちはシンナーを吸うことで、疲れも、空腹も、寂しさも紛らわせている。

 問題解決の見えない社会はフラストレーションをため込んでいる。「こんな小さな村にも警察署ができました。スリや強盗などの犯罪が急増しているからです。昔は、貧しい者が貧しい者を襲ったりしなかったのに・・・」。エルサルバドル北部の山村で、10年近くコミュニティー再建のボランティアをしている米国人女性、ブレンダさんは嘆いた。

 都会の中路上で懸命に生きようともがいている子どもたちは、警察官の拳銃、自営する商店主のマチェテ(山刀)や鉄拳に怯えて暮らす。長年の内戦で大人たちは暴力に不感症になっている。「救世主の国」を意味するエルサルバドルを後にして、私の憂鬱は募るばかりだ。

 市場の片隅で物売りに疲れ、段ボールに入って寝込んだ男の子
 =サンサルバドルで
 ゴミの山からテレビの部品をおもちゃにして遊ぶ女の子。
 「マリア、5歳」といった=グアテマラシティーで
 悪臭漂うゴミの山で金目の物や食べ物を探す男の子
 =サンサルバドル・ネハパ市で