− 「湾岸戦争」を振り返って―戦争勃発− |
||
私の見た90年代の戦争 その5
|
||
フロアに座り込み、テレビに見入っていた学生が顔をゆがめた。片手で顔を覆い、深く考え込んでいる様子だった。涙が頬を伝う。彼女の背後に立っていた別の学生は、手で口を押さえ、声が洩れないようにしている。二人とも、沈鬱な表情だ。私が在籍していた写真学校の二階、写真機材貸し出し所の前に設置されたテレビには、イラクの首都・バクダッドの夜空が映し出されていた。テレビ放送に釘付けになっている学生が数人。放送の内容に足をとめて、ちらっと画面を見て立ち去る者、また、そのテレビ放送にはまったく無関心の学生もいた。 1991年1月16日、米国を主導とする国連多国籍軍は、バクダットへの爆撃を開始。テレビはその様子を映し出していた。高感度カメラを使って映し出された画面上を、蒼白い点滅の閃光が次々と走る。世界で初めて、戦争勃発の世界中継だった。爆撃開始から約10年、幾度となく繰り返し放映されてきた当時の爆撃イメージだ。だが今、私が敢えてそれを再確認する必要はないであろう。また、この地域を専門としない私がこの戦争のもつ意味を解説することはできないし、その知識も技量もあるわけではない。しかし、あえて、わたしはこの戦争にこだわりたい。私が経験してきた90年代の4つの戦争、92年エルサルバドル、戦闘が継続中のビルマ・カレン内戦、日本の戦後と現在、そのはじまりは、この「湾岸戦争」であったからだ。 私にとって、いわゆる「湾岸戦争」開始の第一印象は、「そうか、とうとう始まったか」という、それほど驚くべき事態ではなかった。その当時の記憶も、この原稿を書きながら、写真のコンタクトシートを見つつ、無理矢理思い出さなければならないほど印象が薄い。 イラクへの攻撃は、国連の多国籍軍という名目があるとはいえ、事実上イラクと米国の戦争である。私はそのとき、戦争を遂行している当事国にいた。一方的な攻撃ではあったけれど、交戦国の片側にいたのだ。 しかし、戦争当事国にいるという印象はまったくなかった。もちろんそれは、中東から遠く離れた米国東海岸にいた私に、この湾岸戦争の被害はまったく及ばないからだ。超大国の米国が一方的に、「弱い者」イジメをする武力攻撃だった。 また、テレビから受け取る情報のせいか、他国の戦争、他人事の戦争のようであった。事実、まさによそ事の戦争であった。それは、目の前で人が傷つかない、血が流れない、戦争であった。 戦争が始まったとの実感がそれほどなかったせいか、あるいは、戦争という現象を頭で考えていたせいか、テレビのニュースを見るのを早々と切り上げた。ジャーナリズムの一部分であるフォトジャーナリズムを専攻していたのだが、その時の私は、写真を仕上げるためにそそくさと暗室へと戻っていった。私にとってこの「湾岸戦争」は、別の国・地域で起こっている現象ではなく、それよりももっと違うところに存在している、異なる次元で起こっている、想像上の出来事しか過ぎなかった。それが正直な気持ちだった。 私は当時、米国東海岸のリベラルな都市ボストン市に住んでいた。通っていた学校は、ボストンの中心街の外れ、ケンモアスクエアに面して建っていた。 長時間の暗室作業に疲れ、一休みのため、二階の五畳ほどのせまい休憩場所のソファに腰をおろしていた。窓からは、ボストン大学に通じるビーコン大通りが見下ろせた。 その通りの様子がなんだかおかしいことに気づいた。やけに騒々しい。 「ユウゾー!、デモだ」 その一言で、カメラと手持ちのフィルムを持って学校を飛び出した。 真冬の、冷たい雨の降る夜だった。戦争に反対する人びとが声をあげていた。横断幕やプラカードを手にして、学生を中心とするおよそ三〇〇人の市民が、反戦のデモ行進を始めていた。イラクによるクエート侵攻直後の前年八月から、米国によるイラク攻撃を予感して、戦争突入反対のデモは市内でたびたび行われていた。しかし、今夜の反戦デモは、戦争が始まったことによって、まさに「反戦」となった。 テレビのニュースを見ているだけでは、戦争に対する実感はそれほどなかった。だが、こうやって、実際に戦闘が始まって、その動きに対して人が動き反応すると、本当に戦争が始まってしまったのだと迫りくるものがあった。テレビを見ていた、つい数時間前とはまったく違った印象だ。 雨の中、反戦を叫ぶ人びとがボストン大学の寮の前にさしかかった。そのとき、何名かの学生たちが、その反戦の集団に抗議の声をあげた。たちまち、その声に加勢する人が増え、100人以上の規模にふくれあがった。寮の窓からも「交戦支持」の声が飛んできた。大きなグループになった反戦・交戦の集団が激しいヤジの飛ばしを始めた。 |
||
「湾岸戦争」支持を叫ぶ米国市民。
(ボストン、1991年1月19日) |
||
「湾岸戦争」の支持者と反対者がデモの途中にぶつかり合う。
(ボストン1991年1月) |
||
米国のイラクへの介入を反対するボストン市民
(1990年12月) |
||
|