−誰もが戦争に荷担する現代社会− |
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私の見た90年代の戦争 その6
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「湾岸戦争」勃発の翌日から、イラク攻撃について支持・不支持の声が、これまで以上に語られるようになった。私の個人的な印象では、「戦争」そのものに対する嫌悪感から、イラクへの攻撃を反対する雰囲気が強かったようだ。それには、やはりベトナム戦争の後遺症があったようだった。 戦争反対の大集会が首都ワシントンD.C.で行われる。そんなニュースを伝え聞いた。米国内の各地から首都へ向けて、反戦への意思表示のために、大型バスで大キャラバン隊を組んで抗議行動を起こすという。 1月20日、湾岸戦争開始から5日後、30万人(主催者発表)に及ぶ人びとがワシントンD.C.に集結した。初めて経験するその雰囲気に自分は酔っていた。彼らが何に反対しているのかまるで分かっていなかった。だが、彼らの熱気だけは伝わってきた。そう、彼らは戦争そのものに反対しているのだと。「戦争」とは悪いのだ、と。私は、米国全体がその意思表示をしているのだという大きな錯覚に囚われていた。 当時のテレビ、新聞等のメディアの意見がどのようであったのかは、はっきりとした記憶はない。しかし、開戦当時は個人的に、自分の回りの意見は、圧倒的に反戦であった。それが遠く離れた地域で起こった、概念としての「戦争」に対する態度であった。しかし、その反戦の盛り上がりも大きな錯覚だと気づくにはそう時間はかからなかった。 戦争が始まって一週間を過ぎる頃から様子が変わってきた。小さな黄色いリボンを家の扉につけたり、胸につけたりする人びとが自然発生的に増えていった。全国的な規模だったらしい。それは米兵の無事の帰還を祈る印であった。しかし、その黄色いリボンによる意思表示には、どうして米兵がイラクで生死をかけて活動しているのか、という意味はまったくないように思えた。自分たちの近親者さえ大切にすればいい、内向きの平和・自由のシンボルのようであった。 戦争の大儀はいい、自分の身近な人が生きて帰ればそれだけでいい。だからこの戦争を支援するのだ。そう感じられた。実際、交戦支持派の持っていたプラカードに、象徴的な言葉があった。 'If you don't support the WAR, at leaset support the TROOPS.' (戦争に賛成しなくてもいいから、せめてわれわれの軍隊を支持してくれ) 'We support the troops not the war.' (我々は軍を支援しているのであって、戦争を支持しているのではない) これらのメッセージは何を意味するのか。米国の人にとっては、生活する場が戦場になり、そこで生きていかざるを得ない人のことは眼中にはないようだ。フセインが治めるイラクにも、血の通った人間がいるのに。そこに住む人への配慮はないようだった。 私には、この「湾岸戦争」が米国にとって、何から何を守りたかった戦争なのか理解できない。自由や平等、平和を守るためではなかったのは確かだ。民主主義を旗印に動く米国とその主導下での多国籍軍は実際、フセインによるクルド人への暴挙を黙殺した。 私がこの「湾岸戦争」で強く感じたのは、反戦から戦争支持へと移り変わった、その当時の米国(東海岸)の「雰囲気」であった。ああ、こういう風にして戦争は支持されていくのだなという印象であった。そのことを今、一番脅威に感じる。そこには大義も、思想も、主義・主張もなかったからだ。雰囲気だけに流される社会だった。 何のための「戦争」か。そういう議論が本格的に起こる前に「湾岸戦争」は終わってしまった。イラクへの空爆が1月16日に始まり、2月24日には地上戦に突入した。26日にはクエートは解放され、当時の米国ブッシュ大統領は二八日に「停戦」を宣言した。「湾岸戦争」は事実上、約1ヶ月間で終わった。イラクとクエート間には今、まったく問題がなかったかのようにかつての国境線が引き直された。 では、あのまま、侵攻されたクエートを放置しておいたままでよかったのか。おまえはフセインを支持するのか。私はそういう議論をしているのではない。 果たしてどれだけ多くの兵士が死んだのだろうか。どれだけ多くの民間人が死んだのだろうか。彼らはいったい何のために死んだのだろうか。問題は何一つ解決されていないように思える。しかし、実際人は死んだのだ。その理由を、私は理解できない。何故彼らは命を失わなければならなかったのか。あるいは今も、失い続けているのか。 今、こうしている時にも、パレスチナ、コロンビア、チェチェン、コソボ、アルジェリアと世界中で戦闘・紛争が続いている。宗教・民族・領土、資源の奪い合い。そのひとつひとつのに向き合うことは、もちろんできない。しかし、理由はどうあれ、見方によっては、実際の戦争は地球の反対側で起こっているわけではない。米国の世界戦略に巻き込まれている日本はいつ、その当事者となるかも知れないのだ。 「湾岸戦争」への米国市民の対処は、果たして米国だけの問題に落ち着くのか。そうではないように思える。それは、日本に限らず、内向きに暮らすようになった先進諸国一般の市民にも当てはまる。 その場の雰囲気によって、戦争は動きはじめるのだ。実際に起こった事態の後に「反戦」を唱えても、その時は遅すぎるのだ。 そう考えると、我々に関係のない戦争はないはずだ。すぐ隣の国、いや、私たちが住んでいる社会の中にも起こっているのだ。そのことになぜ思い至らないのか。そのことに想像が及ばないそういう世界に生きているのだ。まず、そのことを深く考えたい。 |
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コンピューター用紙へメッセージを書きなぐった勤め帰りの会社員が、イラクへ介入を支持して
叫び声をあげる。 (ボストン、1991年1月) |
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ワシントン D.C. で行われた30万人の反戦デモ
(1991年1月) |
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反戦デモが国会議事堂前を占拠した。
(1991年1月) |
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