「
マスコミもカメラマンも ”事件” がなければ なかなか取材しませんね 」(P17)
「『写真を生活の手段にするな』という発想が・・・」(P19)
「 ・・・、生活のために撮った写真だから、人を惹きつけるもの、感動させる物がない、生きちゃいない写真ですよ。ああおもしろいじゃないかでおしまい。これだったら、ぼくにはもっとやることがあるんじゃないかと思いましたね」(P80)
「 ぼくはぼくなりに 『幅の広い見方』 でやっていこうとしているんですが、写真界からも批評家からも 『狭い』 という扱いをされ、オミットされます。ぼくは最初から
『狭い』 見方はしていないつもりなんですが、四日市を、毒ガスを、そして原発を撮っていくと ”お国のため” という大義名分に突き当たって、いろんな問題の底にあるものが見えてくる。・・・・・。
だから、『 狭い 』 といわれてもね、こういう写真がでてくる現実があるんじゃないか、こういう写真を撮る程、ぼくが追いつめられているんだと、開き直っていますよ。・・・・・。金・女・出世・レジャー、こんなのを四本柱にしていけばほぼ売れる。社会的なことをすっぽり抜かしちゃっていう意味では、・・・。ぼくは、その抜かしちゃったものをたぐって行くぞ、と。写真界で
『 狭い 』 とか 『 古い 』 といわれてもかまわない。ぼくはカメラマンなんて認められなくてもいい、ジャーナリストですよと、たまたま写真を撮っているんですよと、最近はそういう風に考えているんですよ
」 (PP.. 122−123)
「ぼくは、世の中のほとんどのひとが知らない事実を初めて世に問うていく時は、象徴的な写真を使っていかなきゃならんと思っています」(P189)
「 ぼくの写真、ぼくの姿勢に対して、『 もっと多様性を持つべきだ 』 という批判があります。ドキュメントの時代は終わったんだ、なんて言う批評家までいるんですね。・・・。
報道写真でも、戦場写真の場合などは特に眼の敵にされますね。・・・ほとんどが、つらくて悲惨な写真だったわけですが、写真界やマスコミからいろんな批判が出ましたね。こんな現場の写真ばかりで何になるんだ、何の発展性があるんだ・・・。
・・・。あれだけ多くの写真が発表された結果、戦争というのは虚しいものじゃないか、こんなことは早く止めるべきだと、・・・? 『
客観的じゃない 』 とか『 報道写真の時代は終わった 』 とかいう批判は、戦争を美化したがったり、誰かを犠牲にしてもうけたり、クサイモノにフタをしたがる連中の言い分じゃないかと思いますね
」(PP..190−191)
「 ・・・時代に逆らう写真を撮り続けるには、一コマ一コマの写真、一つ一つの仕事をキチンとしていかなければ、それこそ誰も相手にしてくれませんよ
」(P191)
「 ・・・この、現場に立ち会えるということは素晴らしいことと思いますよね 」(PP..193−194)
「 一つのことをたたえ何年かかろうとも撮り続けると、・・・。これはお金が入るとか、有名になるとかいうことの嬉しさではなしに、ぼくを支えてくれる人たち、写真界なんて狭い世界じゃなくて、ぼくを写真家として認めてくれる人たちがいるっていうことの嬉しさなんですね」(PP..196−197)
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