吉田 ルイ子 『 自分をさがして 旅に生きてます 』+
( 講談社文庫 1983年)


「・・・新しいドレスが欲しい、おいしいものがたべたい、フカフカしたベッドがほしい、ヨーロッパへ旅したい、あらゆる欲望をおさえて、私はひたすら、写真を撮ることにすべての時間と金を費やしたのだった。・・・・・」(P.8 ll.12−15)
「・・・自分に正直に生きる・・・」(P.9  l.2)
「・・・親や近所やはたの人々の目がこわくて、自分に正直になれなかったのだ。」(P10 l.6)
「既成の概念や組織の上にドッカリ坐っている、身体も心もブクブクに太った偽善者たちに、私は魅力を感じない。そして自分もそういう人間になりたくない。自分に正直に生きたい。カメラと筆は私の生きざまを表現する手段なのだ。」(P11 ll..1−4)
「何か集会というと、よく人は集まる。だだならなおさらだ。とにかく一人でいるのはさみしい。人の集まるところに、ぞろぞろと集まってくる」(P.29 ll..9−10)
「ユージン・スミス氏はしずかにしかし強固な態度でこう言われたのだ。
『 ・・・しかし、取材とは生命をかけてやることだ。ジャーナリストたる以上、当然それを覚悟せねばならない 』」(P.73 ll..10−17)
「 『 裁判より、運動より、私は私の写真を信じたい
ユージン・スミスさんは写真が撮れなくなった現在でも、はっきりと言いきる。」(P.75 ll..2−3)
「・・・進歩発達を求める心は自由でなければならない。しかし自由である事は孤独である。自由を求める心はひとに甘える事を拒否し、自分自身への甘えも排斥しなければならない。現実に留まり、小さな家庭の平和をこわさぬ事にきゅうきゅうしているのでは、男に甘え、甘く見ているといわれてもしかたあるまい」(PP..103−104 ll..18−3)
自分の道は、自分でしか決められないのだ。誰も、ほかの人間の意志を束縛したり、強制することはできないのだ。 It's up to you. − これこそ、個人の意志、主義を尊重した、個人主義を代表する言葉だ」(P.142 ll..4−6)
「その意味で、被写体はたしかに自分の鏡だ」(P.160 l.10)
「・・・社会にめざめていく時に、そこには、世界中の人々と、性別をこえ、人種をこえ、国境をこえて、心のふれあいが、すばらしい人間のふれあいが生まれてくると、私は信じている」(P.161 ll..10−11)
「 『 日本の若者は、イデオロギーに強いけど、人種、文化、思想のすべて多様性の強いアメリカの若者をひっぱって行くには、イデオロギーより、具体性のある問題の解決策を提起してやらなければなりません 』」(PP..234−235 ll..17−1)

先日(2000年8月3日)、ひょんな事から吉田氏の著作の話になった。家に戻り、本棚から取り出したのがこの本である(別の著作は、他の人に貸し出したまま戻ってこないぞお〜) 表紙の裏の書き込みを見てみると、1989年1月29日に読み出している。そう、私自身が前の仕事を辞めるちょうど1年半前の日付である。
今読み返すと、私の写真術や考え方が、はっきりしておもいしろい。もともと、吉田氏と同じような考え方と感性を持っていたのだろう。なんか、似ているなあ、って思ってしまった。
「写真をやりたい」っていう人にたくさん出会うが、今の私は、吉田氏と同じ事を言っている。氏と異なるところといえば、私はもっと激しい写真がとりたいなあ、っていう点だろうか。
写真、とくにドキュメンタリーフォトを目指す人には読んで欲しい。

追加− 『 ハーレムの暑い日々 』(講談社文庫 1979)

「私はやっとのことでそう言うと、あてもなく駈けだした。黒人の傷ついた心を理解できなかった自分が無性に悲しかった。」(P.13 ll..4−5)
「だから、私の当時とった写真の人々はほとんどが笑っている。私も、人がよくて素朴なハーレムの人たちのそうした表情が大好きだった
しかし、一年以上ハーレムに住み、その生活環境を外の世界とくらべてみる時、私はハーレムのそうした微笑を単純に受け入れることができなくなってきた。」(P75 ll..2−5)
「・・・ 少なくとも理論的には黒人の同情者でいたいインテリが多い。
しかし、実際はどうだろうか。彼らの考えていることは単に観念的であるに過ぎず、・・・・・。」(P84 ll..1−2)
「・・・やはり黒人にとっては、”レフト”という思想よりも、”ニグロ”という人種問題の方が重要であるらしかった。」(P91 ll..4−5)
「・・・もちろん私も中に入れなかった。が、はじめて笑っていない黒人の写真が撮れたl」(P97 ll..5−6)
「彼がそう続けたとき、私の背筋に冷たいものが走って、しばらく体が動かなくなってしまった。
わからない、わかんない、ワカンナインダ!・・・しかも私より物にタイする所有欲のない彼が、・・・人種闘争運動に参加している者にとってタブーである・・・・・。
・・・涙がとめどなく出てくるのを押さえることができなかった。
車への感傷ではない。こわした黒人たちへの怒りでもない。・・・・・差別したりする言動をとってはいけないとあれほどいっていた理想主義者の・・・・自らそれを破ったことが悲しかったのだ。あれほど私は彼を信じていたのに・・・・・。」(P100 ll..5−15)
「 『 自分は白人以外の者になれるならなんでもいい 』
この言葉はリベラルといわれる白人の苦痛を端的に表現した言葉だ。
・・・・・。
だが、かれあのそうした行動は、自己憐憫であり優越感の裏がえしでしか内のだ。あくまでも、 『 あたま 』と 『 からだ 』が分裂してしまっている。」(P.104 ll..3−11)
「写真というものは、被写体を美しいと思わなければ、あるいは愛さなければ写すべきではない。少なくともそれが私のカメラモラルだ。みにくと思うからびくびくして撮るのだろう。」(P.196 ll..13−14)
「しかし、これ程、頑固な意志と誠意をもった写真家(ユージン・スミス)が私は好きだ。被写体に、どっぷりつかって、じぶんもメッタメタになりながら、撮り続ける。
私はこういう写真家になりたい。」(P.216 ll..1−2)
「しかし、日本人の私が、何故に、アメリカの黒人を執拗に撮り続けたのだろうか?・・・・・・。それだけではない事がわかった。・・・イエローとしての自分のアイデンティティを無意識のうちに、見出そうとしていたのだった。それは、黒と白のあいだにおかれた黄色い女性の必死の抵抗でもあったのだ。」(P216 ll..10−16)