「
写真はせいぜい小さな声に過ぎないが、 ときたま−ほんのときたま − 一枚 の写真、 あるいは、 一組の写真がわれわれの意識を呼び覚ますことができる。
写真を見る人間によるところが大きいが、 ときには写真が、
思考への触媒とな るのに充分な感情を呼び起こすことができる。 われわれのうちにあるもの − たぶんすくなからぬもの
− は影響を受け、 道理に心をかたむけ、 誤りを正す方法 を見つけるだろう。 そして、 ひとつの病の治癒の探究に必要な献身へと奮いたつことさえあるだろう。
そうでないものの、 たぶん、 われわれ自身の生活からは遠い存在でる人びとをずっとよく理解し、 共感するだろう。
写真は小さ な声だ。 わたしの生活の重要な声である。
それが唯一というわけではないが。 私は写真を信じている。
もし充分に熟成されていれば、 写真はときには物をいう。 それが私 − そしてアイリーン − が水俣で写真をとる理由である。」
(裏表紙)
「 ・・・・・。 私たちは、 目につきやすいだけの 『 見出し 』 をではなく、 人間のドラマを写そうと努めた。
しかし写真は、 問題の解決とはちがう。
私たちは過酷な現実に立ち向かわなければならない。 ・・・・・ 。 」 (「序文」アイリーンM.スミス)
「 これは客観的な本ではない。 ジャーナリズムのしきたりから すればまず取りのぞきたい言葉は
『 客観的 』 という言葉だ。 そうすれば、 出版の 『 自由 』 は真実に大きく近づくことになるだろう。 そしてたぶん 『
自由 』 は取りのぞくべき二番目の言葉だ。 このふたつの歪曲から解き放たれたジャーナリストと写真家が、 そのほんものの責任に取りかかることができる。
・・・・・。 24年たったが、 私は自分の答えを変えるべき理由を見つけていない。 その答えはだいたい次のようなものだったといえる。
「 ジャーナリズムにおける私の責任はふたつあるというのが私の信念だ。 第一の責任は写す人たちにたいするもの。 第二の責任は読者にたいするもの。
このふたつの責任を果たせば自動的に雑誌への責任を果たすことになると私は信じている。 ・・・・・。 私たちは、 『 それが 』
が終わっていないことを知っただけでなく、 『 それ 』 − 毒が水銀であれ、 石綿であれ、 食品添加物であれ、 放射能であれ、
またそれ以外のなんであれ − 日に日にわれわれのうえにせまって来ている という確信を強めたのだった。 ・・・・・。 気づかせることがわれわれの唯一の強さである」
(「英語版序文」W.ユージン・スミス)
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