『 ちょっとピンぼけ 』 ( SLIGHTLY OUT OF FOCUS )
( ロバート・キャパ 川添浩史/井上清一 文春文庫 1979年


■ (序文)「 キャパが遺したもの」 −スタイン・ベック
「 例えば、戦争そのものを写すことは不可能であることを、彼は知っていた」(P4)
「彼が教えた一番大切なものは、彼等の芸術を尊敬し、しかも、その芸術を創りあげる一つ一つの過程 − 生活の総てを、おろそかにしてはならない事を教えたのであった。 彼は若い人々に、人間はそのように生くべきであり、又、それだけが真実であることを、身をもって証明した 」(P5)

「 ・・・・・。私は自分を嫌悪し、この職業を憎んだ。だいたい、この種の写真は葬儀屋の仕事だ 」
「 報道写真家でありながら同時に、優しい心を失わないでいることの難しさについて自問自答してみた。 怪我したり、殺されたりしている場面抜きで、ただのんびりと飛行場のまわりに座っているだけの写真では、ひとびとに、真実とへだたった印象を与えるだろう。 死んだり、傷ついたりした場面こそ、戦争の真実を人々に訴えるものである。だから、私が湿っぽい気持ちにならないうちに、一本・・・」 (P5)

「私はあらゆる角度のから写真をとった。 砂塵の写真、砲煙の写真、 将軍の写真、 といったように。 けれども、私の感じた、またこの肉眼で捉えた戦闘のあの緊張や劇的な場面を、 真に撮し得たものは一つとしてなかった 」 (P70)

「 ・・・・・。そして私は確かに素晴らしい写真をとり得たと思った。それらの写真は、単純なものであったが、戦闘というものは実際はいかに陰鬱で、また目だたないものであるかを如実に示すものであった。 ”特種”というのは、幸運に加えるに迅速な輸送に依存し、しかもそれらのうち、たいていのものは、印刷された次の日にはもう無意味となってしまうものである 」 ( P103 )

私のカメラのファインダーのなかの数千の顔、顔、顔はだんだんぼやけていって、そのファインダーは私の涙で濡れ放題になった 」 ( P181 )

「この戦争の最終的な銃を射撃する最後の兵士は、この戦争勃発に最初に銃を撃った兵士と何らの違いも見い出せなかった。 その写真がニューヨークに着いても、普通の兵士がなんの変哲もない銃を射撃している画面と、誰ひとりふり向きもしないであろう 」 ( P220 )

「 ・・・・・。 この最後の日、もっとも勇敢なる兵士の数人がなおも死んでいくであろう。 生き残っていくものは、死んでゆく彼らをすぐ忘れるのであろうか 」( P221 )

ここ数年、あちこちでロバート・キャパ氏の名前が話題に上るようだ。私の手元にも氏に関する本や氏自身の写真集がいくつかある。 この欄で、そのうちどれを取り上げようか迷った。 リチャード・ウィーラン著(沢木耕太郎訳)『 キャパ 』 か 『 ちょっとピンぼけ 』 か最後まで迷った。 結局、氏自身が書いた、後者を選んだ。
ファインダーを覗きながら涙を流す場面は、悲惨な内戦の終結を迎えたエルサルバドル取材の自分の体験と重ね合わせてしまった。
「 停戦に酔いしれる市民を撮影した自分の様子を当時、私は次のように日記に書いていた。 『焼けつくような太陽の日差しを浴びながら、夢中でシャッターを切っていた。そのうちカメラのファインダーの中が曇り始めた。気温のせいか、あるいは目の前でうごめく群衆の熱気のせいだろうか。FMLN(ファラブンド・マルティ民族解放戦線:左翼ゲリラ連合組織)の赤い旗を振り、赤いスカーフをつけた人々。しかし、いつの間にか、自分の目に涙があふれようとしているのに気づいた。泣くまいと瞼に力を入れたが、涙はとまらない。十年近くも流すことのなかった涙でファインダーの向こう側が見えなくなりはじめる。胸が張り裂けてしまいそうな熱い空気が肺に充満して息苦しくなる。シャッターが切れなくなりそうになった。。気を引き締めて、カメラを握りなおした。『この人々の姿をネガに焼き付けねば』。その想いだけでシャッターを切り続けた 』。 今まで数多くの集会を撮影してきたが、これまで私が目にしたのは、怒りや悲しみのメッセージを伝える集会がほとんどであった。しかし、エルサルバドルで私が体験したのは、心から平和を喜ぶ、幸せな人々の集会であった。その強烈な印象は現在も私の中に生き続けている」( 『 総合ジャーナリズム研究』1999年秋季号、 『 J magazine 』 2000年1月)