期 間
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2004年11月1日(月)〜30日(火)
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入場者数
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3,114名
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アンケート集計
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入場者3,114名中、回答89名
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(1)
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色彩が印象的でした。軍事政権下でよく取材ができたものだと感心しました。今後の一層のご活躍を。
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軍政下の人びとの暮らしはほとんど日本に暮らす私たちのところに届いてはきません。それは取材が困難であるからだというのがよくわかりました。かの地で僧院の担っている役割に興味を持ちました。
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イラク、パレスチナ・・・、たくさん情報が入ってくるのはそのソースが欧米系だから。ミャンマーのニュースが少ないのは、当該国にとってイラク化はまぬがれている証拠。英米の代理スーチーを持ち上げてはいけない。写真そのものは価値大。
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(4)
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父母、三人娘の5人組、写真展を見させていただきました。父94才、母91才とも車椅子でお参りさせていただき、平和。私達全世界平和になる事を・・・。
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(5)
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戦後の人間であるが、父母から戦争を聞かされ、又、ビルマの竪琴の映画を見た。現在、主人がマレーシアに赴任中であったりで、とても興味がありました。幸せな生活を送っている日本人として、何か出来る事を考えさせられました。
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(6)
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ビルマ 未開の地とは承知していたが、写真を見てその実態を知り、はっきりいうと驚愕いたしました。この未開の地を世界の開発国で力を合わせ救済したいものだとしみじみと感じました。
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命破壊。ビルマ軍事政権を見て、明日はわが身だ。宗教は決して平和ではない。今、日本も平和ではない。浄土真宗はどう思い考えているのか。
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生きるということ。いつまでも生命をとどめる生活の一瞬。
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市民の生活、国内の様子がよく分かって良かった。貧しい中でたくましく生きている民衆、スーチー女史の慕う国民の様子が伺えた。
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ビルマの真実の姿がわかる、いい写真ばかりです。写真と一緒に付いている説明がわかりやすく、また普通の人々への深い共感に支えられているので、説明を読むのも楽しめました。
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今年夏にミャンマーへ行きました。ガイドさんからスーチーさんの事も聞きました。環状線にも1ドルで乗りました。写真の通りでした。国民生活がよく撮れていると思いました。私はバガン遺跡を見にもう一度行きたいと思っています。
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ただ何気なく見た写真でしたが、ものすごい迫力を感じ、身震いした。ビルマの人々の表情、特に目が印象的です。身がひきしまる思いです。衝撃でした。イラクだけではないんですね。
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京阪五条から歩いてきたので足が痛い!写真はどれも光の取り入れ方が良い。無料とは申し訳ない。
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仏教国だと思っていたので、ヒンドゥー教の信者やキリスト教の信者もいることに少し驚きました。ホームページで写真を見るよりも、引き伸ばした方が迫力ありますね。
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人と地域社会と地域の様子がよくあらわれている。
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かわいそう
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軍事政権下のビルマの悲惨な写真、又普段目にしない風景に言葉を失いました。
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日本の平和ボケ、とアジアの貧しい生活との差を感じます。自分にもっと出来ることをして、人生を送ることの大事さ、大切さ。写真を撮ることも、人間の生き方、その国のそれぞれの人々の文化を撮ることにしようと思いました。美しい風景ばかりでは意味がない事に気付きました。
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一期一会の住職の友(ミャンマー修行された住職)の仲間と戦没者追悼法要に参加し、きれいな墓苑の前にて仏徳讃嘆をし、死にたくないいのちの心を深く味わった折、パコダの館の老若男女の合掌に、とても心の安らぎをおぼえました。今日あらたに修行僧にあってわずかな財施した事、苦しい人々の平和な顔が思い出され、とてもふしぎな縁でした。
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とても美しいお写真を有難うございました。なかなかビルマまで行くことはありませんが、このお写真を見て喜んでおります。女性の水くみが心に残ります。
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新聞、テレビなど限られた情報しか分からないが、写真展により、ある局面を知り、一層関心が深まりました。貴殿の勇気と情熱に敬意を表します。
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滅多に見られない貴重とも言える写真でした。自殺されたという両手両足を地雷で失った方の写真は特に強いショックを受けました。一方で熱心な佛教国でなぜこのような殺し合いが続くのでしょうね。
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大きな時の流れの中に浮かぶ国、そこには古くからの伝統も生き、反面新しい西洋的資本主義的文化にも表れている。軍事政権下との事だが、彼らは何を求め守ろう改めようとしているのか。これも歴史の中にやがては埋没してゆくのかと永遠に続くものは民衆の心の中の何もんかだと気付かされた。
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初めて知る現実に驚きます。
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貴重な写真を見せて戴きました。今、私達の生活状態を見直さなければいけませんね。平和について考えさせられました。そして、日常普通に暮らせる事にすごく感謝します。
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マンダレー管区イラワジ河ほとりの日々の暮らし。イラワジ管区農道そいそぐ幼い僧。チン州僧院内に設けられた孤児院。ラングーン物乞いをする女性。チン州、特別なツテで単独行。ラングーン、美化政策のため、外国人の目に触れることのない生活の実態。マンダレー管区、おしゃれをしたい気持ち。マンダレー管区、15秒の通り雨。(宇田さん、来ちゃいました。元気ですか・・・。)
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いつもビルマのことをやってくれてありがとうございます。写真展キレイですね。チャンスがあったら、この写真を名古屋にもよろしくお願いします。早めにビルマが民主化なるために頑張りましょうね。よろしくお願いいたします。
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なつかしく拝見しました。もう何年になるのでしょうか。ヤンゴン大学が閉鎖された年の12月でした。ワンゴン、パガン、ぺグーに行きました。国民の皆さんがやさしく非常に素朴で素晴らしい国です。又行きたいと思います。またタナカを塗ってもらいます。大阪北御堂でチラシを見ました。
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赤い傘の僧はじっと立ってて目は少し左上を見ています。入れ墨をした娘は正面を向いていますから、私を見ています。この娘の運命を考えながら見ています。10円のバスが走っている国。材木を人力で押している国。
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同じ人間であるのに悲惨な状況で何とかしてやりたい。日本のぜいたくな食生活、その他、上層部のだらしなさ、目に余る。
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日本人は幸せだなあと思いました。其の上、この本願寺に泊まらせていただいておいしい食事をいただき、もったいない気持ちでいっぱいです。日本人であり、真宗の信者であることに感謝します。私は九州の西の果ての町で、こんな催しをして、小学生の孫に見せたいと思いました。
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通りかかりで会場へ入りました。とても心をひかれた作品でした。時間もなく疲れていましたので、もう一度改めてゆっくりと見ています。孔雀の入れ墨、ローソクで勉強するこども、ハコダで憩う市民など、たくさん感動する写真があり、びっくりします。もう一度見に来ます。
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この記事と写真展を見て、あらためて今、自分が住んでいる自由のある日本国にいることが幸せに思えます。先の見えない軍事政権の中で、人間らしい生活を求めながらも何も出来ず苦しんでいる現状を悲しく思います。宇田さんのように自分の身体をはって現状を伝え、なんとか少しでも民主化になるように、世界の人々に訴える方はすばらしいと思います。命はたった1回しかありません。どうぞ健康で、くれぐれも気をつけてルポルタージュして下さい。
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庶民レベルの生活がわかり、面白かったと思う。
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美しい、悲しい、ありがたい。知らなかった状況がいっぱいあるのですね。豊かな日本と比べて見ました。
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こんなに貧しい国があるとは、日本では考えられない事です。今を有り難いと思い感謝して生活していこうと思います。そして、ビルマが早く幸せになってほしいと考え、願わずにはいられません。
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困難な中でもたくましく生きる人達、迫力ある写真から深い感銘を受けました。地球上のどの国にも平和で幸せな暮らしをと思う気持ちが強くなりました。
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ビルマの人々の生活や考え方を写真で知ることが出来ました。未だ自然豊かな環境が保持されていることが有り難いことです。ありがとうございました。
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「ビルマ」という国名の使い方にどうして、と思ったが、宇田さんの考えに納得。被写体の捉え方が軍事政権や人々の生活、心情といったビルマ全般を表している感じがする。偏りがなくてひかれるものがある。
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ぼくは韓国からきた学生で、現在、立命館大学の国際関係学部の1回生です。ビルマについては全然知らなかったのですが、ここで写真展を見てわかるようになりました。To be freedom From all of pains!
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かつて日本と親しかった国。色黒で端正な顔立ちの人々。体制の変化で、近くて遠い国になってしまったが、国家体制とは別に民衆同士が草の根でつながっていくことが大事だが、日本人はどの国ともそうしたことをわすれている。台湾のように信頼される日本人になって欲しい。
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アメリカのイラク干渉もある程度理解できるようになりました。軍事政権の恐ろしさが分かりました。自分の命を大切に、さらに取材を続けてください。
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じっくり見させてもらいました。大量のフィルムの中から一枚一枚厳選したんだよって感じが伝わってきました。特に「生きる=働く」が強烈な印象として。ただ人々の顔に、笑いが少ないのが気がかり。日常をとらえた時、先にくるのは「憂」や「耐」なのでしょうか。そのぶん、生きることに真剣なまなざしですよね、みんな。
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スーチーさんの記事を新聞でしか読んだことがありませんでした。想像でしかビルマを思えませんでした。写真は事実、現実を伝え「百聞は一見にしかず」と思いました。胸のつぶれる思いで見せてもらいました。子供達がすこやかに成長できる世界中であって欲しいと願っています。ありがとうございました。
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観光地としてしか認識されていない国がたくさんある中で、ビルマで「生きる」人々を見る事ができた。
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報道写真のもつ意義を改めて理解出来る。難民が大量に流入しようと、資源国の魅力がなければ大国の援助干渉もないのですね。戦争しか知らない民族が世界各地にいることを改めて認識出来ました。
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久しぶりに心を打つ写真を見た感じがする。この写真を見ると日本は豊かだなあと思うが、今の日本に幸せというものがあるのか。年間3万人以上の自殺者があり、青少年の犯罪の凶悪化。真の幸せとは、いったい何かを考えさせられた。宇田有三さんという方はどんな人なのか、お会いしたいと思った。こういう写真展をもっとしてほしい。
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どれもすばらしい写真でした。ミャンマー人の生活実感がよくわかりました。写真のアングルもすばらしい。息子がミャンマーに居り、2度ほど旅行しましたが、観光では見られない風景に感動しました。
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ビルマに限らず、この地球上のあらゆる経済システムはもう限界にきていると思います。
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大変興味深く拝見致しました。だけど、ミャンマーのアジアの中における図上の位置、ミャンマーそのものの8州の区分図など、つまり地図を併載してほしかった。
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なかなか情報が伝わってこないビルマなので貴重な写真を拝見しました。
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ビルマの経済が悪いのでしょうか。戦後の日本の生活も余裕のない生活だったが、日本にはまだ資源があったので立ち直りも早いが、もっと人間らしい生活を平等にしてもらいたい。
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宇田さん、すごいです。住んでいた時は、あまり気にならなかった(普通になりすぎて)ものも、あらためて見ると、気付く点がたくさんありますね。軍政という面、素朴な面、ビルマのありのままがよく伝わりました。
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普段自分が目を向けないところに視線が注がれていて、新鮮な印象を受けた。特に心に残ったのは、「乗る子と回す子」だ。同じ子供であるにもかかわらず、境遇は全くの逆で、現在のビルマを象徴していると感じた。また、カレン軍の兵隊の多くが少年兵であることも憂慮すべき現状である。追伸:下着屋の写真、よく撮れましたね・・・。
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小泉首相はこの現実を知っているのでしょうか。首相にも見てもらってください。
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入れ墨の写真を見て、沖縄、アイヌに1世紀前まで残っていたので日本人のルーツを思ったが、ビルマのことは何も知らない。今回の写真を見て、歴史の悲しさは何処の国にもある、ただ日本人は今素直にならなければと強く思った。
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軍事政権下の厳しい様子が知られて深く感動致しました。
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本年2月にビルマを訪問しました。目的はパコダ巡拝の旅でした。5日間の日程でしたから通り過ぎたといった印象です。この写真展を見て、この国の人々の生活の一端を改めて知る事ができました。ありがとうございました。
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現実がよくわかり、よかった。
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落ち着いた雰囲気でゆっくり見られた。大きなプリントだと迫力もあり、一つ一つの印象が強くてよかった。ポストカードを会場で売っていたら買いたかったです。
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私は3年前にXXXXX協会を設立致しました。それまではXXXXX協会にいましたが、ビルマには10回位訪問致しました。活動は主に寺子屋支援です。又来年2月にスタディ州で学生含む20名で訪問の予定です。
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軍事政権下の写真ではなく普通の政権下のビルマの写真展が早く出来るようになったらいいと思う。
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ポートレート主体の写真に生活感が伝わる。昔見た、ビルマの映画を思い出した。
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50代女性です。ありがとうございました。日本も今、キナくさい。ビルマのことは全く知りませんでした。北朝鮮は今注目されていますが、アフガニスタンはどうなったのか。一般に知られていることは(報道されていることは)少ないですね。
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厳しい環境の中で必死で生きている姿は美しい。なぜ生きるのか。楽しいことを求めて?何が楽しいか?
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軍事政権の固い顔と市井の人々の柔らかい生活・・・。写真からは東南アジアに共通した、どこかほっこりとする懐かしい風景と、軍事政権下で内戦の絶えない厳しい一面とが交互にかいま見れた。どの国にも、両面は存在していると思う。一見民主国家に思われているこの日本にも・・・。
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年譜と地図があればよくわかる。
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写真の焼き増し等可能?人の命の重さ、尊さを写真を通して頂戴しました。表題となった写真、家路を急ぐ若い僧の写真、他1点希望。
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ビルマの実情を見せていただきました。
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ビルマと聞いて、国の名前が違うと思った。ごあいさつの中でミャンマーと呼び名にこだわっていることに納得しました。門司にもビルマの仏塔があります。めかりの山に登っては戦争中のことを思い出しております。これからもビルマの人々の生活を多く撮って世界の人々にアピールしてください。
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ミャンマーに行ったことのある私には、どの写真も、又どの説明もドキドキするものばかりでした。深いですね。私は素人写真ですが、笑顔や、最近急に出来てきだしたファッションショップ、ビヤガーデン風の店、ケーキ屋、ファーストフード、スーパーマーケットとの対比を不思議に感じています。チャイテーヨーパコダのポータ役の少年との交流を楽しみに、又、ミャンマーに行きたいと思います。この写真展でもう一歩踏み込んだビルマを感じさせていただきありがとうございました。感動しています。写真集ありませんか?
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とても印象的でした。とくに貧民層の捉え方がシビア。
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展示方法をもう少し考えてほしい。写真はとても良いと思いました。
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ラングーンの今の様子、ビルマの軍事政権下の人々の暮らしなど、本で読むよりははるかにわかって、おどろきました。よい写真を拝見できて、ありがとうございました。ラングーンで身内が戦死しています。
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来年1月にミャンマー仏蹟巡拝旅行に行きますので興味深く観ました。軍政独裁下のミャンマーの実情を垣間見ることができた写真ですばらしくよく撮れていると思いました。週刊金曜日の文もわかりやすくミャンマーの実情を伝えてくれるものでした。ありがたく拝見、拝読させていただきました。
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タイに旅行した時のことを思い出し懐かしかったです。
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ビルマの現状、文化が伝わってくる写真で、しかも美しい風景もあり、感動した。地図があるともっと伝わるものがあるような気がする。
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私はビルマの文字が好きで、少しビルマに関心がありましたが、その現状については何も知りませんでした。今日、たまたま訪れたこの場所で、貴重な写真と解説でその現状を知る事ができ、たいへん感謝しています。チン族の悲しい風習や、地雷による痛ましい最期を遂げられた方、100万を超える国内避難民の存在・・・本当にビルマが光で包まれることを願ってやみません。こういう写真集もぜひ発刊されてほしいです。
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ビルマのことはあまり知らなかったので、写真をみていろいろ現実感をもってこの国について考える機会を得られて、感謝します。あたりまえのような平和な日常がない国なんですね。物乞いの女性の背中にとても重くてつらいものを感じました。
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普段見慣れていて、当たり前になっている風景も、日本で見ると、あたりまえではないのだと改めて感じさせられました。また写真展を開催される際には、是非お知らせください。続編を楽しみにしております。
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ミャンマーのいろいろな面が写真によって紹介されていて良かったと思います。写真だけでなく写真それぞれコメントがあり、知識が深まりました。これからも写真をとり続けて下さい。
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人間的にあたたかくもあり、とても厳しい国だと感じました。現地に行って直接見たわけではないけど、こうして何枚かの写真をじっくり見て、改めてビルマと日本の違いに驚きました。あと、神仏とは一体なんなのかとも思いました。街中にこんなにも信仰している偉い人がいて、キラキラした建物があるのに、こんなにも平等でない・・・宗教の意味って何なのでしょう。色々と勉強になりました。また大阪人間科学大学にいらして下さい。
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ポスターを西本願寺の方からいただき、参りました。1年かかりましたが、写真展が実現してよかったと思います。とても良いパネルです。写真でないとわからないビルマの人々が見えるのがよかった。授業のときの印象と又ちがいます。宇田さんによろしくお伝えください。西本願寺の皆様、ありがとうございました。今後も人々のために良い催し物をお進めください。
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個人を特定する名前や団体名は割愛しました。 また、
このページの製作には京都のKさんの協力を得ました。
(宇田有三)
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