フォトジャーナリストの独り言

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[フォトジャーナリストの独り言]
2002/05/22 第26号
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フリーフォトジャーナリスト・宇田有三(うだゆうぞう)が
取材の中で、日々の生活の中で感じたことを書き綴ります。
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■第26号■

「リアリストになる時」

自分のことばかりを考えずに、世界の困った人のことに思いを。飢餓状態の人を考えたら、そんなことくらい我慢できるだろう。「自由」は、本当にありがたいのになあ。

「何がしたいかわからない?」。おい、おい、その歳でか。25歳も過ぎたら、自分で歩いて行かな。それも、自分一人で生きているという驕りを捨てなあかんで。

The Sky Is Limit や。人間ちゅうのは、やろうと思えば、何だってできる。決断と行動。でも、それが分かっていて、なぜ決断できないか、なぜ行動できないか。その理由が自分でも分からないのかなあ。

分からないのは、自分自身をちゃんと理解できてないからや。そんな状態で他の人の役に立つのは、まだ準備不足や。それに、「人のために何かやりたいだって」。そんな考えは、現場では役に立たない。

生まれてきたのは何のため。人生をどう生きぬくか。

普段は、抽象論や理想論ばかり語っている。だが、先日、久しぶりにリアリストになった。


「で、彼氏とは続いとん?」。何の気なしにAさんに聞いてみた。Aさんには、特別の恋心をいだいているわけではない。

仕事に熱中しながら、遠距離恋愛を続ける人間の、その胸の内やそのエネルギーについて興味があったからだ。好きな人とは一緒にいたいと思うはずなのに、6年近くも離れて暮らしている。そのことに興味があったのだ。

<まあ、人それぞれの恋愛形態やけど>

「ふられちゃった。先週の日曜日に決着がついたの」。笑いながら言うAさんのその表情、いや、目は笑っていなかった。「終わった。だから今、だめな状態なんです」

そう淡々と話す言葉の端々から、しんどさが伝わってきた。だがそれでも、聞けば答える。何とかして、自分の心の整理をしようとしているのが分かった。

「もう終わりだと分かっているだけど、どうしても、どうしても、もしかしたら、と思ってしまう。最後だと思っていながら、期待してしまった。話を続けたくて、仕事の合間に廊下に出て、携帯電話のバッテリーが切れるまで話してまった」

仕事の関係で夜が遅いAさんのことだから、深夜近くの電話だったのだろう。ダメだと思って、どうにか自分の気持ちを分かってもらいたいと、携帯電話を握りしめている姿が思い浮かんだ。

もうダメだと思っていても、続けたくなるのはしかたがないなあ。でも、ダメなものはダメだから。もう終わりだね。理性と感情が一致しないのは人間だけど、現実を見なあかんで。

「もうダメだと分かって、気持ちの整理をつけた。そう思っていてた。でも、2日くらいたって、彼からメールが届いた。差出人の名前を見て、うわ、うれしいっていう気持ちがした。やっぱり期待する気持ちがあった。
でも、それは、友人宛全員に送った同報メールだった・・・」

CDなんか、借りたものがあったら、全部捨てた方がいいよ。これを返さなければ、という。そんな自己正当化した理由で、なんとかつながろうとする、会おうとする理由を見つけようとするから。絶対、捨てた方がいい。

「もし、あのとき追求せずにいたら、あの1年さえ無ければなあ」

終わったこと。それを直視せなあかんな。どんな状態でも、未来永劫っていうのはあり得ないんや。大切な人とも、絶対に別れなければならない。それが早まっただけや。

「2番目でいいからって。仕事も辞めるって言ったし。でも、遅かった」

一緒にいたい。なんとか関係を続けていたい。それほど相手を思う気持ちがあるかもしれん。でも、実はちゃうんやな。自分の感情に正直なる気持ち。それは、逆に自分の感情だけで生きているだけやで。

どうにかして分かって欲しいというのは、相手のことを理解しようと冷静に考えていないことになっている。もう今は、相手に自分の感情の押しつけになっているで。

相手のことを理解しよう、2人で何かを創り上げていこうという状況は破綻している。そのことを冷静に考えなければあかん。今となっては、向こうの2人の幸せを願う方がええんやで。

「もう、ダメとわかってんやけど」

時間が解決する。それは確かや。だから、連絡はとったらアカン。思い出してもいいけど、会ったらあかん。人間やもん感情はあるんやから。でも、もしかしたら、もう一度。そんな気持ちはもったらあかん。

現実を見るんやで。リアリストになるのは今からや。

落ち込むのはとことん落ち込んだ方がいいで。ひきずらないように。でないと、次のいい機会に巡り合ったとしても、それを見逃すことになってしまうからなあ。

哀しいと思う気持ちや寂しいと思う気持ちをごまかしたらあかん。私だって人間やからねん、しんどいねん。そんな風に、冷静に自分を見つめたらいいねん。

もう終わったことを、それとして、自分の心を開いた状態にもっていく準備をした方がいいで。まだまだこれから、絶対良い出会いはある。いろんな経験者としてそれは言えるで。

ビビビ〜ンとした一目惚れちゅうのもあるンや、この世の中には。それに期待した方がええよ。世界は、自分が思うより、もっと、もっと広いで。

今はその失意をどう受け止めるか、リアリストになって考える時やな。自分を哀れに、必要以上に思うのは、エネルギーの無駄や。どう、復活していくのか、そのことに時間を使った方がいい。

自分の中に閉じこもらない。それがまず一歩。おそらくこの世の中で、失恋したことのない人は一人としていないんや。自分だけが特別な存在やないんやで。

挫折のない人はいない。そう、そこの横断歩道を渡る人たちはみんな、涼しげな顔をしているが、それぞれ悩みを抱えているんや。みんな同じ。

つらさを味あわない人はいない。それが人間。楽しい時間は過ぎ去り、愛する人とも別れる。全ての人は死別する。別れることが人生の始まり。それが現実。

現実を直視する。直視するとは。黙って座り、悩み、考えることではないで。それは自己憐憫にしかすぎないからな。じゃあ、直視とは、どうするのか。整理や。理性と感情をきっちり分けて、次に自分の外にむかって動くこと。

もう、昔の楽しい日々には戻ることはできないと分かっているやろ。会いたいという理由付けはなんとでもできる。でも、会っても、その先が無いはずや。もう2人の男と女の関係は、終わり。 ジ・エンドです、はい。

しあわせを求めながら、悲しみを味わい、耐え忍ぶのが人間に課せられた運命なのか。それはちゃうな。それは悲観主義への始まりや。それは、私の考えるリアリストではない。


話をした翌日、Aさんからメッセージが届いた。今年の5月はぐずついた天気が多かった。だが、メッセージの届いたその日は真っ青な五月晴れだった。

窓の外を見ると、海が光っている。額に汗をかきつつ、颯爽と職場へ歩いていくAさんの姿を思い浮かべ、ちょっと嬉しくなった。そうや、それがリアリストなんや。

「だから今日は朝からきちんと食事をして、背筋を伸ばして歩いてきました」
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(c) Yuzo Uda 1995-2004
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