フォトジャーナリストの独り言

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[フォトジャーナリストの独り言]
2002/04/18 第24号
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フリーフォトジャーナリスト・宇田有三(うだゆうぞう)が
取材の中で、日々の生活の中で感じたことを書き綴ります。
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■第24号■

「個性の反映」−ある編集者との対話−

先日、知り合いの編集者から、以下のような質問を頂いた。写真を撮る上で自分をどこまでそこに反映させていくのか。
写真を撮る人にとっては興味深いトピックなので、その編集者の許可を得て、公表することにしました。
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ある女性のフォトグラファーの方(私より、ずっと20歳近く年上の方で、現在は島旅作家としての仕事の方が多くなりつつある。観光写真ではなく、訪れた島々の暮らしぶりを撮っている人)と絵をみながら話をしていた時、彼女が私に問いかけた。

「絵は描き手の個性が強烈に表れるもの、あるいは個性が表れていなければ残っていかないと思うし、場合によっては自画像のように自分自身を描きだすことで自己主張もできる。写真家はどうやって写真で自己表現をするんだろう?あるいは、どこまで己を主張すべきなんだろうか」

私はその直前に「写真も個性が表れるからおもしろい」などと言ってしまっていたので、思いきり後悔したのです。

写真の個性と写真家の個性は別のもので、彼女の問いは、写真家自身の個性をいかに写真で表現するのかという意味だったと思います。私は写真にも個性があるという意味でその時話したので、すでにすれ違ってしまっていた。

けれど、聞かれたことにはなんとか返事したかったし、実際写真家はどう考えているんだろうと思ったわけです。

で、お手数ですが質問です。
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■1−1 宇田さんは、写真に自己の個性を反映させようと思いますか?

 個人的には反映させようと思いません。しかし、結果的には、写真に個性が反映されると思います。  

 機材の選び方、レンズの選び方、取材地・撮影対象・時期などを考え るとニュートラルではあり得ませんから(これは、質問者の方自身が後述されています)

 個人的に思うのですが、私の立場は、フォトジャーナリストという立場です。写真家+ジャーナリストでありたいのです。  

 それでも、よりどちらの立場が強いのか、と問われれば、ジャーナリストの立場です。時々、写真を撮るのが目的、作品作りが目的で被写体との関係性(特に人対人の関係性を)をあまり考えない写真家に出会うことがあります。

 私はそれを、良い・悪いと価値判断しているわけではありません。そのへんを誤解なく。

 ある知り合い(ある程度私の性格を見通している人)が、私の展示写真を見て、私が写真を撮る動機(みたいなところ)をズバリと言い当てたことがあります。

 多くの写真の中から その一枚のイメージを見て言い当てたのだから、さすがにドキリとしました。その人も、私と同じような動機を持った人だと、今振り返ると、そう思います。

また、次の質問に入る前に、********************、に挟まれた部分に関して思ったことをつけ加えます。  

その画家はどういう思いで絵を描くのだろうか。この女性はその前提となる動機を自分自身でどこまでつきつめて考えているのだろうか。そのへんを疑問に感じました。  

画家は絵を残すために描いたのでしょうか。自己主張のために描いたのか。いろいろな要因が混じり合って描いたのだろうか。もっと深く突き詰めていくと、それこそ絵を描くのに理由は必要なのか、と。

事象の原因・理由、動機などを知りたいというのは、大脳の発達した(ちょっと飛躍しますが)人間の特徴かも知れません。理由のない創作活動もあっていいか、と妙に冷めた部分もあるのが私です。

人間に捉えきれない、そんな部分があったほうが、この世の中ずっと面白いものだと。  

■1−2 自己表現したいと思って撮っていますか?

 結果的に、見た人が、「ああこの人(撮影者)らしいイメージだ」と判断することはあっても、私個人としては積極的に自己表現したいとは決して思いません。  

 あくまでも、主体・主人公は写真イメージの中の被写体だと思っていますから。

■1−3 撮り手は写真でどこまで自己主張すべきなんでしょうか?

 この「・・・べき」という質問の意味するところがよく分かりません 。
 もう少し別な角度からの質問をお願いします。

■1−4 何を撮るか、どう撮るか、それで何を伝えようとするのか、
     そしてどこで発表するか。個人的にはそこに写真家の個性が表
     れると思うのですが、撮り手は写真に個性を反映させたいと思
     って撮るんでしょうか?

 それは、人それぞれじゃあないでしょうか(答えになってませんか?)個性を反映させたい>自己表現したい>誰かに認められたい。そういうことでしょうか。

 私は、写真を見る人との「共感」を大切にしたいです。

  ■1−5 「己」を表現するために写真を撮る人はいますがこの場合はそ
     うではなくて、何か伝えたいというテーマを持っている人が、
     同時に同じ写真で自分を表現するってどんな写真なんでしょう?
     写真には映っているわけがないのに、写真が宇田有三を主張し
     ている写真っていうのかな。

 はい。結果的に、宇田有三を強烈に主張している写真は何枚かあります。私の Website のポートフォーリオのセクションにも数枚、典型的なイメージを見つけることができます。

■2−1 写真のみで自分を判断されることは、撮り手にとってこわいこ
     とではないですか?

 まあ、伝えたいテーマがあり、結果的には自分を主張している写真は、ある意味で自分が丸裸で出ているわけですから、こわいというか、恥ずかしいというか。

 「この写真は、まさにあなた自身ですね」。ある特定の写真を指摘されると赤面したくなります。

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写真のテーマから、撮り手の興味のありかや何を主張したいのかを読み取るのは基本です。しかし写真家自身の個性はその人と実際に交流がなければ分からない。

推測することは自由だし簡単ですが、会って話をしてみない限り、それは何年たっても推測の域をでない。例えば、アラーキーのようにさんざんどんな人物か報道されたり自分でメディアを使って話していたって、ほんとにそうかは会ってみないと分からない。

 <ウダ>
 それは、写真というメディアを狭くに捉えていると思います。実際、撮影者に会って、直接話をしても、何がわかるのですしょうか。私には、疑問です。

 おそらく、自分が分かりたいという部分しか引き出せないのではないでしょうか。もしかしたら、そうでない部分を見つけることが出来るかもしれませんが、それはその写して手との関係次第でしょう。

  でも、普通、そこまでしませんね。

 なんか、見る側と撮影者との関係性の話になってきました。それも、(ここでは)日本語が通じる相手を前提にしてます。

 私が、写真を撮り続けるのは、そこから、地域や時代、民族や人種、性別や世代、もちろん言語さえも、人間がいままで限界だと思っている既成の規制を取り除くことが出来るのではないかと期待しているからです。  

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たとえば、中年から老年期にある男性の顔のアップを撮り続けるある人の写真は、「いい」顔が溢れています。画面いっぱいの笑顔やおどけた表情、緊張感で張り詰めた顔、遠くを見通すような穏やかな顔。深いしわが刻まれた数々の顔。

そこにはいろんな顔があるけれど、どれをとっても、人生を経てきた人々を尊重する姿勢、自分もやがてそんな「いい」顔ができるような人生を送りたいという撮り手の密かな願望を読み取れます。

同時に読み取れる、撮り手の持つ穏やかさや、無理して人の心に入っていこうとはしない控えめな性格、地味だろうとこつこつと続けていく性格(粘着質は写真家には共通かもしれませんが)は、写真から推測できますが、私が実際に会って話してみたからこそ納得した個性だと思う。

そしてそれは彼が写真に投影させようとしたものではなく、結果的に投影されたものじゃないかと思うのです。雑誌でぱらっとめくった時に見つけた写真でも、「これ、あの人が撮ったな」と気づくほどに。

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答えをわかっているのに。なぜ質問を。

■3−1 ルポルタージュであったり、最初に私に質問した人のように島
     の暮らし(日々の漁や畑仕事や、島での人生の変遷)をとる人
     にとって、自分の個性を写真で表現するって、どういうことに
     なるんでしょう?

 写真で自分の個性を表現しようと(意識的に)したことがない私にとって、答えようがありません。

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笑顔を撮っても、正面きって、笑っている顔が多い時と、すこしうつむいたり影を感じさせる笑顔に惹かれる時とで、撮り手の心理状態の変化は写真に表れると思う。

振り返ってみた時、写真にはおそらく、明らかに、そういう撮り手自身の変化や成熟の痕跡が残されているとは思う。しかしそれは個性を反映させたということではない気がする。
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 <ウダ>
 ある人にとっては、個性を反映させたいと思っているかも知れません。 しかし、私はそうではありません。私の個人的な経験では、撮影するときの楽しさ(充実感)がまず初めにきます。

 自分を表現するよりも、目の前被写体との関係作りが全てです。言葉 も通じない、生活・文化・風習・時には性別も異なる被写体に、無機 質のカメラ(レンズ)を向けるのです。ドキドキします。

 自分を追い込んで、のっぴきならない状態でないと、そういうこと (見知らぬ人にカメラを向けること)なんてできません。そういう写 真をとる方法は、もしかしたら撮影者の生き方から出てくるのかも知 れませんが。

 でも、一瞬、ほんの一瞬ですが、被写体とココロが通じてシャッターを切って、思うようなイメージができあがったときは言うことがありません。  

 その一瞬は、まさに感動です。まるで、恋に落ちた一瞬です(だから私のモットーは、365日感動しよう!365日恋しよう!です。(このあたりを違う意味で誤解される人が多いですが・・・。)

 回答になったかどうか・・・。

 宇田有三
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(c) Yuzo Uda 1995-2004
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