フォトジャーナリストの独り言

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[フォトジャーナリストの独り言]
2001/12/18 第18号
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フリーフォトジャーナリスト・宇田有三(うだゆうぞう)が
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■第18号■

「ごまかすことを学ぶだけ」

その昔、好きな女優は、と問われて、秋吉久美子だと応えていた。今でこそ、水野真紀が大好きという軟派な野郎に成り下がったが、そのころは真剣だった。

私はああいう「憂い」を持った人と一緒になるのだ、若気の至りか、ずっ とそう思っていた。実は公言できないけど、今もそう思っている。

しかし、現実と理想は重ならないのが世の常である。人間関係について、 ほぼあきらめの境地である。歳を喰うと、あきらめが早くなるのである。

歳をとり、あきらめが早いのと執着するのではどちらがいいのだろうか。 性格的にはどっちになるのか、あと30年近く生き残ることができるなら、今からその結果が楽しみだ。

しかし、人間の好みはそうそう変わるものではない。そうはいっても、やはり「憂い」がある女性はいい。

よく考えると、自分が好きになった女優(歌手)はいつも、はじっこに位置する人が多い。大学時代には、三田寛子が好きといっては友人のMに笑 われた。

そのMは、大阪・堺から神戸・六甲まで自転車で通うという、これまた変 わったヤツだったから。どっちもどっちだ。

その後、高田みづえが好きになった。勝ち気なところが良かったのである。 そういえば数年前、大阪行きの新快速で、ほん目の前に、その当人と乗り合わせてびっくりした。旦那の若島津(親方名は知らない)と一緒だった。

目が一瞬合って、ドキッとした。私のかつてのマドンナも、それなりに齢 を重ねていた。ま、当然か。自分のことを棚に上げて、こう言うことを書くのは良くない。

すぐに他の人の事ばかりをまな板にあげるのが、私の悪い癖である。で、 秋吉久美子に戻る。そう、彼女が出ていた映画、「さらば愛しき大地」 を見て、感動しまったのだ。破滅に向かう男に寄り添う?女を演じてい た。

そんな女(女性と書かずに「オンナ」と言わせていただきます。フェミ ニストみなさま、お許しを)に惚れてみたいと思っていた。

もっとも、自分が秋吉久美子に惚れていたと言うより、そんな女が惚れた根津甚八の破滅的な生き方に自分の将来を重ね合わせていたのかも知れな い。なぜ、今そのことを書くか。

そう、私もやっと真っ当な生活から足を洗い、破滅的な人生を送り始めたからであろうか。中途半端はあかんと気づいたままずるずる来ていた。ダメだと分かっていても、どうにもならないのが、この世の常である。

この繰り返しである。人は学ぶようで、実は、ごまかすことを学ぶだけである。正面を向かないようになるのである。だったら。

真っ直ぐは生きていけない。世の中は斜めに見るモンや。そう思っているから、斜めは斜めなりの生き方を貫くのが筋である。真っ直ぐは、所詮似合っていない。

そんな一風変わった「志」(これを「こころざし」とはよべないなあ)と現実のバランスをどうとっていくのか。年月を経るたびにそのことが重圧 となってくる。仕事や人間関係が深くなり、知らず知らずのうちに身動き取れなくなってくる。

いっちょ前に「責任感」という、もっとも自分にはふさわしくもない言葉を口にするようになる。本来なら、私には、一番ふさわしくない言葉だ。 世の中を斜交いに見るという志は、実は中途半端ではできない。

30代前半まで、全てが出来る、と思っていた。信じて行動すればなんでも可能だと思っていた。それが大きな間違いに、やっと気づいた。それはそれでいい。スタート地点に再び立つ勇気があればいいのだから。

人生において、何を一番の最優先に置くのか。それだけなのだ。単純なこ とだ。これまで多くの事柄(ま、差し障りがあるので、今は書けないが) が私の前に現れて消えてきた。また、そのまま存在しているものもある。

物質的な欲望や、生理的な欲望も、ないと言えば嘘になる。でも、過剰にあるわけではない。ほどほどだ。あ、いやだな、このほどほどって言う言葉も。

そう、最優先の話である。自分の信じることにどれだけエネルギーを使えるか。言い訳はすればするほど、抜け出すことはできない。決断し、行動すること。いつも言いきかせているが、やはり現実の世界はなかなか難し い。

写真をとるだけなら、簡単に妥協できるが、そうではない。そのシャッターを切る、その前の自分をどれだけ冷静に見つめることができるのか。 10年たっても、まだまだ先は長いと思う。

オンザロードはいつも私の道標。常に戻るのはそこ。「志を曲げるくらい なら・・・」。いつまでそう言い続けられるか。

気ぃ抜くなよ。また、いつもの挑戦が始まる。破滅に向かうと分かっていても、その道を歩く勇気だけはいつも心に秘めている。

寛大になれない、人に優しくなれない、愛を信じない、私はどんな写真を撮り続けるのか。厳しい現実が待ってるんだろうな。

さらば愛しき大地、ん、さらば愛しき人よ。あれ?レイモンド・チャンド ラーとごっちゃになってきた。それほど、別れを納得させるには混乱があると言うことだ。
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(c) Yuzo Uda 1995-2004
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