フォトジャーナリストの独り言

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[フォトジャーナリストの独り言]
2001/11/26 第16号
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フリーフォトジャーナリスト・宇田有三(うだゆうぞう)が
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■第16号■

「すれ違った思いやり」

この9月半ば、産まれた直後の我が子を抱きしめるAさんを撮影した。撮影の前後を通して、無条件に子を想う母親の姿を目の当たりに見せてもらった。

今考えると、「産みの苦しみを撮る」という企画そのものは成功だったが、 撮影後いろいろと考えさせられたのも事実である。親子の間に通じ合う思 いやりって何なのだろうか。ふと考えてしまった。

先日、30年以上のつき合いがある旧友Bと久しぶりに会った。彼と話を していて、「親」ってなんなんなのかなあ。そんな話になった。Bは前回のメールマガジンを読んでくれていたから、話は早かった。

まあ35歳も超えたBも、ようやく自分の親の事を他人と客観的に話せる ようになったみたいだ。彼は、ちょっとだけ恥ずかしそうに自分の母親の ことを話し始めた

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この間、実家に帰ったとき、ふと小学生の頃の話になってなあ。ほら、こ の左足のすねに25cmほどのキズがあるやろう。山で遊んでいて怪我を したんや。

立入禁止の区域に忍び込んで遊んどったんや。で、帰りしな、立ち入り禁止の鉄条網をくぐるとき、グッサリとやってもた。で、悪いことに、その 鉄条網をぐっさり刺したまま、引き抜こうと思ったら滑ってしまって、ズルズルいってもたわ。

まあ痛くて、目に涙は浮かべたけど、泣かなかんかったと思うよ。それよりも、「ああ大変なことをしてしまった」、って思ったわ。自分の怪我よりも家を事を考えとったんや。

迷惑かけるなあって。血まみれになった子が家のこと心配しとったんや。 ほんま痛かったなあ。血もドバッて吹き出したし。で、良くは覚えていないが、近所のおばさんが手当をしてくれたみたいやった。

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ズボンの裾をまくったBの足には、なるほど肉が盛り上がった裂傷の跡がくっきりと残っていた。太くて長い、みみず腫れの跡だった。
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母親はこの前、当時のことを説明してくれたわ。
「切なくてやりきれなかった」、とだけ。

母親はその時、働きに出ていたんや。家に帰ってこの傷を見てびっくりしたらしい。血を流している我が子の世話をできなかったことを悔やんどった。そう言うてたわ。それに名前も知らない近所の優しい人が世話をしてくれたことに引け目を感じとったよ。お礼の一つも言えなんだと。

自分で言うとったわ。「その時は、ただただ情けなかった」って。「母親 として、ちゃんと自分の子供の世話をできなかくて、どうしようもなかった」って。子供に不憫な想いをさせている。そう思っていたようだ。

そんなことを目の前で言われたら、俺はなんと答えていい。ほんまに困っ たで。「ああ、そうやったん」。そう言うしかないやろ。はっきり言うて、 怪我した時の母親のこと覚えていないもん。

母親の姿がなかったんやから、当たりまえかな。でもそんな正直は話はでけへんし。もっともっと悲しむやろうしな。

で、すぐに話題を変えたな。でも、知らんうちにやっぱり子供の時のことに話題がもどってしまったわ。

ほら、頭のここ変やろう。
Bは白髪混じりの自分の頭を指差した。本当だ。やけに一箇所だけに白髪がかたまっていた。

5歳くらいだったかな、近所の子供とケンカをしていて、大きな石を思いっきりぶつけられたんや。両手でやっと持ち上げられるくらいの、直径3 0cmくらいの、でかい石を頭にゴツンや。

その時も血が噴き出したなあ。頭から顔は血まみれになったわ。どういう風に治療をしたのか覚えていない。その時はさすがに、母親は相手の家を 探しだし、怒鳴り込んでいったみたいやけど ─ それも、つい先日初めて聞いたんや。

で、あんまり覚えていないけど、被害ばっかりではなく、やんちゃもしていたみたいだ。近所の車の屋根に飛び乗って、屋根をぼこぼこにしたこともあったみたい。それで謝りまわったこともあったみたいやね。

でも、ああやって、母親が自分の子供の時のことを話してくれたから、自分も子供の時の思い出を振り返ることができたなあ。お互い歳をとったんやなあって実感したわ。

でも、父親がおったら違う話を聞けたんかも。ま、父親とは、二十歳以後 プッツンやからどうしようもないし。もう鬼籍に入っているやろうしな。 で、自分で言うのも変やけど、子供の頃はそれ相応の感受性はあったんや で。

そう話すBは、いかつい身体の背筋をちょっと伸ばした。そう言いながら Bは続けた:
今もそうやけど、素直に人に甘えられへんのは、子供の時からの習性やろうと思うんや。小学校から帰ってくると、仕事で疲れた母親が寝とったわ。 それもしんどそうに、やつれた顔をしてなあ。

まあ、起こしたらあかん、ゆっくり休ませてやろうと思って、ご飯も我慢 まんしたし、ちょっとひもじい思いもしたもんや。炊飯器の冷たいご飯が今も思い浮かぶで。

炊飯器の中にご飯がないとき、冷蔵庫に食べるものがないとき、そんな時 は水をいっぱい飲んどったなあ。お腹がちゃぽちゃぽになったで。夜寝る ときなんかは、妙に感情的になって、涙が出てきたりしたで。

寂しいから泣いたんとちゃうで。ただ、母親の顔を思い出して思ったんや。 あんな顔して寝ているのは、しんどいねんな、つらいねんな、って。そう思うと妙に高ぶって来るんや。だから余計に、甘えることができんかったわ。

いっちょ前に、大人や子供の立場を抜きにして、人の辛さを共感しようと していたんやと思うわ。負担かけたらあかんのや、って。

自分で言うのも変やけど、泣いているのを悟られたらあかん、そう思ってタオルケットをグググって口にくわえて嗚咽状態やったわ。声を出したら あかん。泣いたらあかん、って。

泣いているのを気づかれたらあかんって。寂しいなんて言うてられへんかったなあ。ただただなんか知らんけど、悲しかったんや。声を殺して泣いている自分の姿が今でも思い出せるわ。

泣くのを必死で我慢しとったら身体が震えてきたなあ。それだけはちゃん と覚えてるわ。血ぃ見るほどの大けがは何度もしてあんまり泣かんかったけど、そんなときは声を殺して泣いたなあ。子供は子供なりに気をつかっ とったんや。

泣いているところを気づかれたら、また哀しみの顔がふえるんとちゃうか なって思っていたわ。

ほんでや。この前、母親からそんな子供時代の話を聞かされて、思ったんやけど。ホンマ、お互いにすれ違っとたんやなあって。

母親は我が子の事で寂しい想いをしとったし、子ども子どもなりに寂しい 想いをしとったんやなあ。どこでどう間違ってたんやろ。でも、もう後の まつりや。そういう空っぽの心は取り返しがつかないもんなあ。

親子は言葉を介さなくとも分かり合える。それはちゃうと思うんや。言葉 を使わなくとも、きちんと態度で示さなあかんと思う。でないとすれ違いはそのままやで。

自分自身、わがままをあまり言わず、気遣いばかりをしてきたなあ。今となって、時たま母親と会っても、昔のままの気遣いをしてしまうんやな。

「本当は寂しかったんや」とか「なんでもっとちゃんと側にいてくれなかったんや」。それは口が裂けても言えんなあ。そんな恨み辛みを今言うてもどうにもならへん。でも、この気持ちをどうしたらいいのか分からんようになる。

Bは自嘲気味に続けた。
いまさらそんなことを言っても取り返しはつかない。それは分かっている。 でも、そんな感情があることを誤魔化すこともできないんやな。

でも、こうやって歳くうて、時間の経過と共に身につけてきたことの一つに、もうあの頃のように、タオルケットを口にして悲しさを我慢するよう なことはなくなったことかな。

どんなつらいことがあっても、人生そういうもんだ、と開き直れるようになったことかな。こうやっていろんな感情を殺して大人になってきた人が実は多いのじゃないかなって、慰めているわ。

お前のメールマガジンを読んで、しっかりと子供を抱きしめる、そんな母 親の姿を想像できて良かったよ。この時代、まだまだ捨てたモンじゃない。 愛情が全てだと思っていて、それに裏切られたような気分になっていたが、ちょいと救われたよ。

わが子に寂しい思いをさせてはあかん。親として当然そう考えていただろう。でも、自分が思っていたのは、実は、そんな風に気を遣う親が不憫でならんかったんや。

お前もそんなすれ違いがあったやろ。気にせんでええから言うてみいな。 Bは冷えたコーヒーをすすりながらさりげなく私に問いかけた。
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(c) Yuzo Uda 1995-2004
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