フォトジャーナリストの独り言

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[フォトジャーナリストの独り言]
2001/11/13 第15号
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フリーフォトジャーナリスト・宇田有三(うだゆうぞう)が
取材の中で、日々の生活の中で感じたことを書き綴ります。
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■第15号■

「苦しみの表情」

ファインダーの向こう側に苦痛で歪んだ顔が広がる。苦しみに耐える顔を 左右に振る。時折、「う、う」と呻き声だけがこぼれる。声をあげることができないくらい苦しいのか。

それとも、彼女自身、苦しみを耐えてやり過ごす性格なのか、その辺りはよく分からない。向かって右側に立つ夫は時折、わが妻の苦しみを共有で きない、そのもどかしさのためか、言葉にならない台詞だけを口にする。

「だいじょうぶか」
手をしっかり握り、それしか言えない男の立場。

長時間の撮影を覚悟していた。持ち込んだスライドフィルムの感度は100。準備したのは50本強、同3200の白黒フィルム10本。カメラは 35mm一眼2台、ポケットカメラ、デジタルカメラ。さらに1脚も。失敗 は許されなかった。ある理由から、フラッシュは使えない。

前日の夕方、大阪の病院から簡単な連絡があった。「子宮を刺激して子宮 口を広げるために、『海藻』をいれるます」。数時間後、自宅に連絡があった。「痛かったですよ。頭が下がってきているので、夜中にでも陣痛がくるかも」と。

翌朝。ふぅ。なんとか朝まで持ってくれたなあ。急ぎ、朝8時過ぎに病院 を訪れた。何回か行き慣れた婦人科の病室に入る。本人の顔はちょっと蒼 白いかな。でも、自分で立って歩いている。

そう、これは病気ではないのだ。そう再認識する。
「すいません、わざわざ」。出産直前のそんなときまで気を遣う性格の人だ。「すいません」が枕詞となっているAさん。

Aさんは9時過ぎ、夫に付き添われて陣痛室に入った。1人目の出産は、 11時間近くかかったそうだ。今回の2人目は、多少早くなるとは思っていたが、やはり同じくらい予想はしていた。

昼過ぎ、夫が出てきた。「かなり下がってきてきてます。もう少しです。 もうちょっとだから。小休止です」

二人で近くのコンビニにお弁当を買いに行き、婦人科の入り口のベンチで 腹ごしらえをする。当人が、陣痛で苦しんでいるのに、なんか申し訳ない と思いつつ。お茶を口に含む。

戦争で傷つく人びとを見過ぎた。難民キャンプで苦しむ顔を見すぎた。地 雷に手足を吹き飛ばされて、うつろになった表情を見た。溺死した我が子の側で放心状態の父親の顔を記憶した。

地震で瓦礫の下に埋まった息子を思い、嘆き悲しむ母親の慟哭が今も胸に 刻まれている。苦悩の表情ばかりだ。いつもいつも、やりようのないイメ ージが頭をよぎる。

ちょっと一息つきたい。そう思っていた。苦しみが喜びとなる事はないのだろうか。ずっと考えていた。そうしているうちに、思いついた。

「産みの苦しみ」とは一体なんだ。文字通り、あまりにも単純な考えであった。私が撮りたかったのは、出産の状況撮影よりも、産んでいる最中の、 まさに苦しんでいる人間の顔のアップであった。

実は昨年の11月に、知人を通して知り合った女性の出産を撮影すること になっていた。それは初産の女性であった。もちろん夫婦揃って撮影に協力してくれることになっていた。

当人は、私から見ても、かなり「いけている」人であった。まあ、赤の他人、それも全く見知らぬ人を出産に立ち会わせてくれると言うから、そり ゃそうだろう。出産予定日までに、なんどか顔合わせを済ます。

個人的には、少々機械的な撮影にしたかった。夫婦の密事の間に入ってい くようで、さすがに居心地が悪かったせいもある。が、やはり、産むと決 めた女性にとっては、かなり精神的な圧迫が、特に初産の場合、あるらしい。

出産予定日の3日ほど前になって、旦那さんの方から、「やっぱり、今回 の撮影の話、キャンセルさせてもらいますか。ちょっと不安定になってい ますので」と連絡があった。

それはもう折り込み済みであった。最初に顔合わせしたときから、無理し なくて良いです。いつでも負担と感じたら、断ってください。そう伝えて あった。 仕方のないことであった。

そして今回。2人目の出産と言うことで、少々安心していた。そのAさんと初めてあったのは、今年3月20日。丁度出産予定日の半年前であった。 Aさんを紹介してくれた実姉であるBさんと、お宅に伺った。

まあ、初顔合わせ。撮影依頼のOKは取っていたが、私自身も、自分の偏見で、先行している(想像上の)出産の撮影イメージがあった。

もし、イメージとかけ離れている人なら、ちょっと撮影しづらいと思い、 とりあえず、撮す・撮さないと結論を下す前に、一度本人と会ってみることにしていた。

第一印象というのは結構重要である。

「こんにちは」。なんかちょっと印象が薄い。Aさんと挨拶をかわしても、 撮したいというエネルギーが湧いてこなかった。そんなAさんはテーブルを挟んで右隣に座っている。

左の目の下には時に、うっすらと横長の「えくぼ」が浅くできる人だった。 表情はぼんやり。面白い「えくぼ」の出来方だな、そうは思っていても正直なところ、集散の撮影に関しては「やべぇ、これは」、という印象であ った。

テーブルを囲んで話をしていても、Aさんの性格か、それとも私の「場」 作りがうまくないのか、どうもテンションが高まらない。今回もだめかな、気持ちはそう巡っていた。

そんな気分になり始めていたせいか、冷えた牛乳も生ぬるく感じ始めていた。それから、世間話の雑談が続いた。やがて、2階で子供をあやしていた旦那さんが姿を現した。

「どうも、こんにちは」。私はぎこちなく挨拶をした。その時、Aさんの 目は一瞬、その場を凍らせた。空気が一瞬変わった。私は感じた。絵にな る顔だ。

「Tは?」
か細い声で、息子の名前を呼んだ。テーブルを囲んでいたときは、一人の 人間として、あるいは出産前の女性として存在していたが、我が子のことを考えたその一瞬の目つきは、「母親」になっていた。

不安を含み、さらに、子供をひとりぼっちにした夫を糾弾するような目つきであった。夫を見上げた、顔の「えくぼ」が深くなっていた。驚くべき表情の変化であった。

しかし、その変化は、ほんの一瞬、瞬きをする間もない出来事であった。 だが、私はそれを見逃さなかった。はっきりと見てしまった。この人の表情を取らねばならぬ。そう決心した。

9時丁度に陣痛室に入ったAさんは14時過ぎ、分娩室に移った。私はそれに遅れること約5分後、分娩室に入った。Aさんの頭の上に覆い被さるようなポジションで撮影を始める。

ここが撮影位置だ。動き回ることができない。運良く、この時、3台並んだ別の分娩台は空っぽだ。助産婦さんと看護婦さんがせわしく動き回る。

14時15分過ぎから、Aさんの顔が激しく歪みはじめる。右へ左へ、頭を振る。感度100のフィルムでギリギリの撮影感度。「デジカメ」はタ イムラグが大きく役立たない。すぐに35mm をメインに切り替える。

それから約10分、苦痛の大きな波がいくつか襲ってくる。Aさんは旦那の手をしっかり握る。苦痛で顔が歪む。「う〜」。声が一瞬上がる。で、奥歯をかみしめて耐える瞬間。

吐き出す息が激しくなってきた。苦痛の波の頂点が来そうだ。はあ、はあ、 はあ。息づかいが荒い。婦長さんの励ましの声がする。私は撮影に夢中になり、何を言っているのかさっぱり理解できなくなってきた。

Aさんは、胸の前で両手をしっかりと握りしめた。その手を包みながら、 「がんばれ」。旦那さんの声が飛ぶ。もう産まれるのか。そんな馬鹿な。
早すぎる。

そんな苦痛に歪んだ顔に「えくぼ」をしっかりととらえた。一人の人間が命を生み出すその瞬間の顔。半年前、我が子を心配していた、不安な母親 の顔をした一瞬の表情をはっきりを思い出した。

あの、ぼんやりとしていた顔が今、覚悟を決めて苦しんでいる。命を産む 出すために。今この時、全世界で、自然の命の誕生があるのだ。その一方 で人為的な命の破壊もあるのだ。

一体この矛盾は何なのだ。カメラを持つ手に力が入る。

永遠に続くような苦痛と呆然とした表情の繰り返し。その周りで、看護婦 さん、助産婦さん、医師、旦那がそれぞれの役割を演じる。赤ん坊はゆっ くりと出てきているようだ。

引っ張り出そうとする外部の人間たち。最後の最後、何の抵抗もなかった ようだ。太くて白いへその緒をつけた赤ん坊が出てきた。苦痛は去った。

一瞬の無表情−苦しみでもない、達成感直後の表情だ。

Aさんは笑顔で我が子を抱きしめる。穏やかな顔に戻った。涙が浮かんで いる。旦那も目を拭っている。

私はなぜ、ここにいるのだ。一人、冷たく、晴れやかな気持ちだった。

■■出産時の状況の一部を以下のページにアップしております■■

    http://www.uzo.net/etc/birth/birth.htm

   <Aさん夫妻、ご協力ありがとうございました>
幹線道路には、か。
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