On the Road U

< Vol.33 October - November 2000>
明日への希望
 「隣の子持っていた長いクレヨンが眩しかったなあ」ベトナム人のグェン・バン・コーイさん(39歳)が流ちょうな日本語でつぶやいた。今から20数年前の1970年代末、ベトナムから、いわゆるボートピープルとして日本にたどり着いたのグェンさんに、故郷での思い出話を聞いていたときのことだ。
 親指の先を小指の第一関節に当てながら、「僕が持っていたのは、このくらいのちっちゃなクレヨンだったから」。戦争を経験した子供時代を思い出してか、懐かしそうに話してくれた。
 画用紙いっぱいに絵を描く、ノートに鉛筆で字を書く。安全に学校に通って、教室の中で学ぶ。日本では当たり前のことのようだが、勉強に集中できるとは、なんと贅沢なことだろう。グェンさんの話を聞きながら、私の思いは中米へ、東南アジアで出会った人々へ飛んだ。

 「バシャ、バシャ、バシャ。」
 大きなシャッター音を鳴らしながら彼女に近づいていった。20mmと24mmの超広角レンズをつけたカメラと彼女との距離は数十センチもない。しかし、彼女は顔を上げようともしなかった。驚くべき集中力でノートに向かっていた。
 12年間続いた内戦が終結してから4年後の1996年4月、中米・エルサルバドルへの訪問は3度目だった。首都サンサルバドルから遠く離れた、サンミゲール州の北に位置するバリオス市にまで足を運んだ。バリオス市は、1980年に礼拝の途中に狂気の銃弾に倒れた、内戦中の民衆の精神的な支えであったオスカー・ロメロ大司教の生地でもある。
 取り立てて特徴のある町ではない。ごくありふれた、エルサルバドルのひなびた田舎町である。教会の正面に建つロメロ大司教の胸像を写真に収めたあと、何もすることがなくなった。ぶらぶらと2時間も歩き回れば、町の様子がすべてわかってしまうほどのちっちゃな町。さびれた市場のはずれ、町の公園の一角で雑貨売りの屋台の女性がひとり、必死にアルファベットを書き写していた。
 私の視線は、文字を追う彼女の指先に釘付けになった。
 鉛筆をしっかりと握りしめ、一文字一文字、しっかりと筆写していく。ゆっくりと流れていた時が、一瞬止まった。この場面を見るために私はここに来たのか。そう思った。撮影のために近づきすぎたせいで、私の影が彼女を覆う。ふと、彼女が顔を上げた。目と目が合って、ほんの一瞬彼女がはにかんだ。緊張がはじけた瞬間だ。興奮した私の喉はかわいていた。声は裏返っていた。なんとか、絞り出すように声で話しかけた。
 「オーラ。勉強してるんだね?」
 「Si!(そうよ)。」
 笑いながら答えた彼女は、すぐさま、アルファベットの練習へと戻った。
 ファインダーを通して、改めて彼女の顔を見る。突き刺すような熱帯の日差しを浴びすぎたせいだろうか、彼女の顔は赤黒く焼けている。話しかけると彼女の真剣さに水を差すような気がした。彼女の生い立ち? 過去の話を聞くのをやめた。今のこの時を、輝く彼女を撮すことができれば。

 タイ国境に隣接するビルマ・カレン州のジャングル地帯では52年も内戦が続いている。ビルマ軍事政権に抵抗しているのはカレン民族同盟(KNU)である。その総司令部からサルウィン河をボートで遡ること約半日、タイ国境に隣接するKNUの軍事部門KNLAの第20大隊支配地区の兵站基地ティムタへと入った。休む間もなく翌日には前線へ向かう強行軍だ。少々興奮気味である。なかなか寝付くことができなかった。自然と第20大隊を任されている司令官と話し込むことになった。
 ビルマ政府軍の動きや戦闘の状況。飽きるほど、幾度となく聞かされたビルマ民族とカレン民族の確執の歴史も再度、聞かされる。さらに、司令官の個人的なことにまで話が及んだ。首都ラングーンの出身。ラングーン大学で哲学を専攻し、卒業後は学校で教えていたエリートだった。それが今は、戦闘の最前線で指揮をとるゲリラの司令官である。
 「日本の大学では、どんな勉強したんだ。どんな教科書を使っていた。」
 しきりに学校のことや授業のカリュキュラムのことを聞いてきた。
 「本当は好きな文学や哲学書を読みたいんだがなあ。今の状況はそれを許さないからなあ。そう、できればベトナム戦争のジャングル戦のことを書いた『ケサンの闘い』を手に入れてくれないか」彼は、自分の思いとは違う書物の名を挙げた。それが現実だった。
 しかし、彼は戦闘の司令官だけではなかった。毎夜、あどけない面影が残る少年兵たちにカレン文字の聖書を使って、読み書きを教えている。カレン文化(文字)の継承のためだそうだ。カレン人なのに、ビルマ語しか知らないなんて、そんなことは許されない、との思いからだそうだ。
 「いつか、この戦闘が止んだとき、この子たちはどうなるのか。かれらの行く末を案じないわけにはいかない。人を殺すための技術ではなく、こうやって、将来役に立つ読み書きを教えてやりたい。」
 司令官による読み書きの練習が終わった後、ロウソクの灯りのもと、聖書の文字を追う少年兵の顔が輝いていた。ろうそくの芯が燃える音が聞こえそうなほど静かな夜。ページをめくる音がシャ、シャと聞こえてくる。ごろんと横になって、その姿を眺める。胸が熱くなる。

 中米・グアテマラの首都グアテマラシティーの町はずれ。多くの路上生活者の子どもたちを見た。昼間からビールやウイスキーを手にする10歳前後の子ども。シンナーを片時も手から話すこともできない。彼らの、とろんとした目を直視するのには勇気がいる。そこでの光景は思い出すことさえ、苦しい。しかし、そんな彼らにも、もちろん好奇心がある。学びたい、未知のものを吸収したいという思いはあった。
 どこで彼らの歯車が狂ったんだろう。生まれた地域、時代が悪いのか。そう考えると全ての光景に免罪符を与えるようだ。私には、シャッターを切って、そんな現実を捉えることことしかできない。
 貧困にあえぐ第三世界のスラムや戦闘の続く紛争地を回っていると絶望感に打ちのめされることがある。目の前には、何年経っても、変わらない現実が展開するからだ。苛立ちよりも諦めの気持ちが先に立ってくる。しかし、外からの訪問者の私と違い、現地の人は希望を胸にたくましく生きている。
 無邪気に遊ぶ子どもたちの姿を見て、単純に元気づけられるときがある。しかしそれ以上に、内戦や貧困のもと、ペンや鉛筆を握る人、文字を覚えようとする人の姿をファインダー内に捉えた時、私は彼らの中に「明日への希望」を感じとることができる。

ビニール袋に入ったボンドのシンナーを吸いながら、熱心に絵本に見入る路上生活の子ども。
(グアテマラシティー、グアテマラ、1994年)
起アルファベットの練習。(バリオス市、エルサルバドル、1996年4月)
カレン文字で書かれた聖書を使って、文字の読み書きを覚える前線のカレン兵
(カレン州、ビルマ、1994年)

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