On the Road U

< Vol.29 June - July 2000 >
< バスレロに生きる >
 砂ぼこりを巻き上げ、地面を震せながら大型のゴミ収集車が次々に到着する。収集車の後部からゴミがどっと吐き出される。その回りに、大人も子ども、男も女も一斉に群がる。大きなビニールのゴミ袋が破れ、マンゴーと西瓜が飛び出した。男の子がマンゴーを拾い上げ、嬉しそうな顔をして一口かじった。真っ黒な顔に、白い果肉が輝く。
 その白さが、眩しい。絵になる光景だ。シャッターを押しながら心が重く沈む。
 牛の死骸が山と積み上げられている。無数の鳥が死肉をつつく。強烈な死臭で胃の奥が堅くなる。ピックアップトラックの後部に馬の屍を積んでやってきた男たち。大きな穴に、馬を放り捨てた。衝撃で、ふくらんだ腹から腸が吹き出る。「撮影は止めてくれ。」馬を運んで来た男たちが私を制止した。
 中米・エルサルバドル、ニカラグア、グアテマラのゴミ捨て場に生きる人びとの生活を撮影しはじめ、今年で6年目になった。
 アジアに住んでいる者は、「アジア」といっても、その中に多様な国々が含まれていることを知っている。同じように、地球の全く反対側の「中米」「南米」と呼ばれる地域にも多くの違った国が存在する。しかし、国、地域は違えど、同じような生活を送っている人々が目の前にいる。ゴミに生活の糧を見いだす人々の姿である。
 それは、フィリピンでもネパールでも、あるいはニカラグアでもエルサルバドルでも同じである。共通点は「貧困」である。そこにいるのは、バスレロ(ゴミ捨て場)に住む以外に、他に生活の選択肢を持たない人々の姿である。経済発展の陰で、切り捨てられてきた人々の姿でもある。貧困を生み出す構造は全世界共通だ。
 私は、体中から噴き出す汗をぬぐい、カメラを構える。気温は35度を超えているだろう。ところが、私の目の前で働いている人たちは長袖のシャツ姿が多い。顔をタオルで覆い、厚手のジャンバーを身につけている子どもたちも大勢いる。ガラス片や劇薬、建築廃材や腐敗した野菜。何が捨てられているか分からない。危険物から身を守るためだ。
 中米での戦闘は96年のグアテマラ停戦で終わった。しかし、戦争の原因となった貧富の差は全く無くなっていない。
 「過去50年の間には、その前の500年間よりも貧困は減っている」。そう国連開発計画の報告書(1997年度版)はいう。だが、一方で、貧富の差は確実に広がっている。1960年には最貧困層の20%の人々は、世界経済全体の2.3%の所得を占めていた。現在その所得の占める割合は1.1%にまで減少している。現在、世界の経済規模は25兆米ドルに達するが、最富裕と最貧困層の割合は、1960年の30対1から、1994年には78対1に広がっている。世界の10大富豪の富の総計は1330億米ドルにも達する。彼らの資産は開発途上国の総歳入の1.5倍にもなる。人々を貧困から救い出すのに必要なお金は約800億米ドル。すなわち、世界経済の0.5%・・・それは世界の7大富豪の資産、あるいは1995年の世界の軍事費の10%とほぼ同額である。
 数字を並べ、「人々は豊かになってきている」、そう判断するのも一つの見方だ。地域間の数字を比較し、「だから中米はアジアより豊かだ、アフリカは旧東欧圏よりも貧しい」と指摘するのもいいだろう。でも、何かが違うんだな。そこには、汗も臭いも感じない一つの側面しかない。
 東西冷戦後の世界的な経済の自由化の波もまた、貧困の格差を作り出している。経済の自由化の嵐が吹き荒れる大海に、経済の「羅針盤」や「地図」も持たない貧困国とそこに住む人びとがあてもなくさ迷う。さらに、経済の自由化から恩恵を得ることのできない国や地域は、完全に沈むことさえも許されない。貧困国は、不公平な「世界ゲーム」のルールにより、負けが決定づけられている試合場に絶えず繰り返し登場せねばならない。強い国はますます強くなり、弱い国はますます弱くなる構図だ。
 ニカラグアの首都マナグア湖畔の広大な敷地には、見渡す限りゴミの平原がある。「ここで働きはじめてもう3年になる」。そう話す少年の顔は油と泥まみれだった。カメラのレンズを通さねば直視できない。すぐそばには、骨だけになった山羊の跡。頭が潰れた鶏の死骸には羽がべとりとへばりついている。
 ゴミ捨て場全体が自然発火し、白い煙があたり一面に立ちこめる。夕暮れ近くになると、沈みゆく太陽がオレンジ色に輝き、発火した煙に光が反射すして、黄金の光景を作り出す。こんな状況を見て、どうして美しさを感じるんだ。
 昨日、中央市場でかっぱらいの男が売場の親父に袋叩きにされ、顔を血だらけにしていたことを思い出した。泥棒、強盗をする事もなく、その日々の暮らしを精一杯生きている人々が目の前にいる。彼らの存在はいったい何なんだ。
 「もしかしたら、彼らに襲われて、カメラを奪われるかもしれない」。いつも不安な気持ちでゴミ捨て場に足を運ぶ。ところが私のそんな気持ちは、いつも裏切られる。暑さで、喉がカラカラの時、自分の飲んでいる水を差しだしてくれる人や、「どこから来たの。僕のお姉ちゃんの写真を撮ってあげて」。明るく声をかけてくれたりする子もいる。

 ゲストハウスに戻り、冷たい水シャワーを浴びてベットに横になる。火照りの残る皮膚に扇風機の風が心地よい。今、見てきたことを思い出す。暑くなりすぎた頭では冷静に考えることができず、時間だけが過ぎていく。
ゴミの中に埋もれてゴミ捨て場で働く父と母を待つ少女。(エルサルバドル)
胃の奥が堅くなるほどの腐敗臭漂うゴミ捨て場。            
それこそ、頭のてっぺんからつま先まで、ゴミで汚れて働き続ける。(ニカラグア)
突然、殴り合いのケンカが始まった。               
止めるものは誰もなく、一方が動けなくなるまで続いた。(グアテマラ)
マナグア湖畔に日が暮れる。母と娘が暗くなるまで働く。(ニカラグア)

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