On the Road U

< Vol.28 May - June 2000 >
< 忘れられた内戦 >
  カメラのシャッターを切っていた私は、撮影をやめ、振り返った。
「本当か。本当にそう言ったのか。」
沈んだ気持ちが怒りに取って代わった。
 「本当だ。撃ち殺してやれと言ったんだ。」
 タイ・ビルマ国境で活動する医療NGO(非政府組織)の病院に、こっそり入れてくれた友人は答えた。
 私の目の前には、両手と両目を地雷で失ったカレン人P(32歳)が横たわっている。最初、彼の姿を見て、思わず身を引いた。彼の両側のベッドには、同じように地雷で片足を失ったカレン人が収容されている。ここで弱気になったらだめだ。気を引き締め、カメラには敢えて超広角レンズをつけて撮影を続けた。
 ファインダーいっぱいに広がるPのつぶれた目からは涙が流れているようにも見える。暑さと体の発する熱で苦しいのか、Pはときどきうめきながら体の位置を変える。
 4月13日、ビルマ軍がカレンの村へ入ってきた。迫害をおそれたカレン人たちは国境を越え、タイ側へ逃げてきた。数日後、ビルマ軍が村から撤退したと聞いた何人かが生活用品を取りにビルマ側へ戻り、地雷にやらた。Pもその一人だった。

   ビルマについてのニュースが流れるとき、それは現在の軍事政権に対し、非暴力の民主化運動を続けるアウンサンスーチー氏が話題の中心で、密林地帯で抵抗運動を続けている民族集団の存在に触れられることはあまりない。
 ビルマは人口の約7割をビルマ族が占める。歴代の軍事政権が汎ビルマ主義を強引に押し進めようとするに対し、辺境地帯に住んでいるカチン、カレン、チン、モン、シャン族などの「少数民族」の多くは、1940年代後末から武装闘争を続けてきた。しかし、ビルマ政府軍の圧倒的な物量と政治的駆け引きによって、それら民族の抵抗運動消え去っていった。
 民族の自治を目指して、今も武器を持って戦っているのは主にカレンである。彼らは、カレン民族同盟(KNU)のもとに団結し、孤立無援で自分たちの文化と伝統を守ろうとしている。その抵抗の歴史は、2000年1月でついに51年目を迎えた。第2次世界大戦終了後、世界で最も古い内戦はビルマのカレン人の抵抗闘争であるといわれている。まれにカレンのことがニュースで取り上げられるとき、どうしても「戦うカレン」としての面が強調されがちである。しかし、実際に武器を持って戦闘に参加しているのは、カレン全人口の割合からすると必ずしも多くない。タイ・ビルマ国境で何が起こっているのか。その実状は正確に報道されていない。

   「撃ち殺してくれ。」両手と両目を失ったPは友人にそう訴えた。
 もちろん友人はそんなことはできなかった。彼のことを聞き及んだKNUの幹部の一人は、「本人がそう望むのなら、殺してやれ」と言った。1週間後、私はその幹部の家に乗り込み、発言の意図を問いただした。
 「我々の戦いには犠牲は必要だ。」風通しのいい大きなテラスでその幹部は言い放った。「もう、戦争はやめてくれ。あんまりだ。」
 そういう私の訴えが無意味なのは分かっている。しかし、それでも言わざるを得なかった。
 KNUが武器を取らざるを得ない状況、難民として国境を越えなければらない状況を知っているだけに、自分自身でも自分の言っている言葉の空虚さを感じてしまった。
 4月だけでも2度、計4000人近い村人がタイ側に逃げ込んできた。彼らは、着の身着のままの姿であった。雨期が始まり、数十メートル先さえ見えなくなる篠突く雨に打たれる彼らの姿を想像するとやりきれない。
ビルマ軍の襲撃から逃れてタイ領にたどり着いて1週間目。
行くあてもなく、不案な日々を過ごすカレン人一家。      
ビルマ軍から回収した地雷を点検するカレン兵。
ビルマ軍の地雷によって傷ついたカレン兵。      

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