On the Road U

< Vol.27 April - May 2000 >
< 心に刻まれた地震の記憶 >
 ドンと突き上げられる衝撃で飛び起きた。昨年10月5日早朝、神戸の自宅でのこと。14階建ての最上階の部屋は、ゆらりゆらりと揺れている。目は覚めたものの、布団の上に座り込んだまま、一瞬意識が飛んでしまった。すぐに、トルコでの倒壊した建物を思い出し、死臭の蔓延する瓦礫の記憶がよみがえってきた。その恐怖の記憶は、5年前に起こった阪神大震災と同じであった。
 99年8月17日午前3時1分、トルコ北西部が45秒間、激しく揺れた。この地震による被害は、確認されただけで死者約1万5500人・負傷者約2万5000人以上、被災者約20万人、倒壊家屋2万棟あまり。今をもっても犠牲者の数は確定できないままでいる。
 地震発生から3日目、生存者の救出にあきらめの声が出始める頃、現地入りした。かつてはおしゃれな高層住宅だったであろう建物は今、コンクリート片の瓦礫の山と化している。被害が大きくなったのは、地震そのものの規模が大きかったという面もあるが、それ以上に違法建築のための建物倒壊、地震直後の救出活動の不手際という「人災的」な側面も強い。手抜き工事で倒壊したと非難されている建物の多くは、無惨な姿をさらしている。ぐにゃりと曲がった鉄筋はむき出しになり、複雑にからみ合っている。
 興奮状態が収まっていない被災者たちも多い。16歳の息子を失ったジェイラン・ケントさんは、私に喰ってかからんばかりに訴えた。「あの建築業者が造った建物が倒れた。神の罰を!みんなに知らせてやってくれ、あの業者の名前を…」。私に一体何ができるのだろうか。
 写真撮影のため、瓦礫の山の上に登る機会が多くあった。犠牲者の数は、日を追って確実に増えていく。発見されることなく、倒壊した建物の下敷きになったままの犠牲者は、1万5000人を越えている。私の足の下にも、誰かいたのかも知れない。今考えても、身が縮み上がる思いだ。
 コンクリート片から突き出た鉄筋の1本を握ってみた。ひんやりとした感触。曲げようと力を入れたが、人間の力では曲げようのないほど固かった。触わっただけでボロボロと崩れるコンクリートとは対照的だ。
 ヤロバ市の地震対策本部前。夕暮れ間近で薄暗くなってきた。フランスの救助チームが明々と投光器をつけて、救出活動を続けている。重機が倒壊した建物を崩していく。寝室のあたりにさしかかると機械作業は中断され、洋服や食器が手作業で掘り出されてくる。アルバムと数枚の写真が掘り出され、トラックの脇に大切に置かれていた。
 アルバムを手に取り、項をめくるトルコ兵がいた。家族だろうか。目頭を押さえる彼にカメラを向け、シャッターを一度切った。顔を上げた彼は、うつろな目で私と目線を合わせ、何も言わず、すぐにアルバムに目を落とした。「もう、いいだろう」。彼の目はそのように言っていた。それ以上、写真を撮れなかった。
 地震発生から6日目、被災地に激しい雨が降った。雨に濡れたコンクリートの臭いは、なぜか死臭を思い起こさせる。冷えた空気が、鼻の奥をツンと刺激するせいだろうか。その後、雨に濡れたコンクリートの臭いをかぐと、何処にいようと、トルコの瓦礫の山にうもれた死者の存在を思い出してしまう。それは日本に戻ってきた今も変わらない。
地震直後の状況を聞いていたとき、突然体を震わせて泣き出した女性。
トルコ市民の見守る中、瓦礫の山に登って救出活動を続ける日本の民間救助犬部隊
(日本レスキュー協会・大阪)
比較的穏健なイスラム教徒の多いトルコ。崩れ落ちた自分のアパートの前で懸命に祈りを捧げる。      

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