果てのないカレンの武装抵抗

─ ビルマの辺境 ─ 歴史と民族の隙間に生きる人びと
 夢うつつの中で迫撃砲の音を聞いた。反射的に時間を確認する。朝5時
40分だ。日が昇るまで、まだ1時間半ほどある。この音は、「新世紀」
の幕開けの祝砲か。
 私は、東南アジアの一角、タイ国境が近いビルマ山中で新年を迎えた。
10月半ばから始まる乾季のど真ん中、1年での冷え込みが一番きつい時
期だ。35度近い日中の気温は、夜明け前後には五度を下回る。何がつら
いかといえば、その気温の差である。床につくのは囲炉裏の真横だ。厚手
のジャケットを着込み、さらに毛布を2枚重ね、寒さに耐える。
 ビルマ国内での、止むことのない「内戦」は、今年1月末で53年目を
迎えた。カレン人を中心とする辺境諸民族のビルマ軍事政権に対する自治
権獲得闘争は、これからも続くようだ。
 寒さをしのごうと、火の落ちかけた囲炉裏に身体をすりよせる。カレン
語で「プダ」と呼ばれる竹簀の床が、ギシッと音を立てた。

 砲弾の爆発音は10分ほどでやんだ。静かな夜明け前の静寂が戻る。前
日となんら変わらない朝を迎え、鶏ががけたたましく鳴き始めた。
 「20世紀は戦争の世紀だった」。過去形で呼ぶのは、ここでは全く無
意味だ。また「世紀」という枠組みで彼ら、カレン人の存在を捉えるのも、
可笑しい。「新世紀」を迎えたといっても、西暦2001年の夜明けは、
カレン歴によると2740年である。とりわけ特筆すべ区切りの年ではな
い。
「カレン人の土地には、その土地の時間の流れがある」
 寝不足と寒さの中、ぼんやりとした頭でそんなことを考える。昨日と全
く同じ、平和な村の朝を迎えると、自分が最前線にいることも忘れてしま
う。

 ビルマは1989年、閉鎖的なビルマ式社会主義政策から開放政策へと
方針を変えた。そのため、タイ国境を中心に、密貿易に財政的基盤を置い
ていたカレン人武装組織・KNU(カレン民族同盟)は、急激に勢力を失
い始めた。
「どうしたらいいのか、われわれは」
 タイ・ビルマ国境に点在するカレン人難民キャンプで、避難民によくた
ずねられた。キャンプの責任者からも同じような質問が発せられる。難民
キャンプ内ではこの2、3年、自分たちの生活、さらにはカレン民族の行
く末を不安に思う人たちが表立って声を上げ始めた。これまでKNU幹部
の顔色をうかがって発言していた人たちも、KNU幹部たちの指導力低下
を、はっきりと嘆いている。
「自分たちの事は自分たちで考えなければならない」。そんな意識の現れ
のようである。ビルマ軍事政権に抵抗する最大勢力のカレン組織もまた、
長年の戦闘の厭戦から結束力が弱まってきた。
 私はこの数年、タイ・ビルマ国境に拠点を構えるKNUの幹部に毎度、
同じ質問を繰り返している。
「今後の展開をどうするのか」
「我々はビルマ人の町に攻め入っているのではない。ビルマ人がわれわれ
の土地に、武力で入ってきているのだ。正義はこちら側にあるのだ。われ
われは、最後の一人になっても闘い続ける。この抵抗闘争があと50年続
いてもだ」。返事はいつも同じだった。
 KNUの内部分裂を引き起こす要因はいくつもある。何よりも、KNU
指導部自体が、国際社会の変動に見合った組織改革に抵抗している。次第
に私は、KNUへの取材に対して意欲を失い始めていた。